「Back Stage of Cafe la Tao~part2~」
<この作品は16年前に書かれたものです。>
前回からカフェ ラ タオの歴史を追い、
裏話を綴ってきたが、今回はその後編。
Part2をお届けしたいと思う。
「香り出しの豆を一粒浮かべております」
これは一体いつから始まったのであろうか?
実は、最初の最初、2人で屋台を始めた時からあったタオの名物だった。
まだ2人が某ホテルでフロント係をやっていた頃・・・。
とある日曜日の朝に起こった事件がキッカケだった。
売店&喫茶を担当していた柴尾さん、珈琲の注文が殺到し、
慌ててたのか手元が狂って珈琲豆をキッチンにばらまいてしまった。
暫くして、さて片付けようかとシンクに水を
貯め始めたその時に見たモノはプカプカ
と浮いている先程ぶちまけた豆の姿・・・。
「・・・豆って浮くんだ・・・。」
何を今更なことに気付いて、妙案が浮かんだ。
自分が入れた珈琲には豆を浮かべよう。
それ以来、ラウンジで出される柴尾さんの
入れた珈琲には珈琲豆が浮かべられるようになり、
一言が添えられるようになった。
「香り出しの豆を一粒浮かべております」
ゴミと勘違いして怪訝な顔をされない為の
言い訳とは・・・ここでは言うまい。
「自家焙煎カフェ ラ タオ・・・始まり」
ここで一つ吃驚的新事実を発表したい。
今や山鹿店のトレードマーク、
山鹿店の顔となっている珈琲豆の焙煎機。
毎週毎週、豊前街道を珈琲の香りにしながら
豆を焼いている柴尾さんではあるが。
実はタオを始めた頃は焙煎の「ば」の字も知らなかった。
珈琲屋をやってるくせに焙煎を知らなかった男・柴尾稔生・・・。
が、やはり「焙煎」という言葉を聞くまで、
さして時間は掛からなかった。
興味があることには何でもチャレンジングスピリットを発揮
(しかもマッハの速度で)するのが柴尾さんの
柴尾さんたる由縁・・・。(?)
早速生豆を購入、100円の味噌こしらしきモノを
用いて豆を焼くこと何と1時間。
出来上がって目の前に現れたモノは
珈琲というにはあまりにも気の毒な物体Xだった。
試行錯誤を繰り返しているその時、
1人のお客様が田原坂公園へプラリとやってきた。
何でも大牟田在住の当時議員さんで、
喫茶店を経営し焙煎もしてらっしゃるとか。
話を聞いたその方、救いの手を差し伸べて下さったそうだ。
「一度、見に来ない?」
喜んで大牟田まで出かけていき、
そこで初めて大きな焙煎機なるモノを目にしたのである。
その方は基本的知識を教えて下さり、
柴尾さんは焙煎がなんたるものかを知ることが出来た
・・・その時・・・。ふと、思い出した顔があった。
確か湯布院に・・・
珈琲に詳しそうなオヤジがいたっけ・・・?
あの人に聞いてみりゃもっと色々教えてくれるだろう。
かる~~い気持ちで思い出したそのオヤジこそ・・・
日本で5本の指に入る巨匠・豊永氏だったのである・・・。
「自家焙煎カフェ ラ タオ・・・その後」
そもそも豊永氏、大分県湯布院の
カフェ『ボンボヤージュ』のマスターである。
何故その巨匠を思い出す事となったのか?
まだタオを始める少し前、田所さんと柴尾さんの
コンビは趣味がカメラという事もあり、阿蘇まで撮影に行った。
そろそろ帰ろうか・・・と一路下界(笑)へ。
が、どこを間違えたのか全く正反対の方向へと
車は勝手に進み、大分に入ってしまった。
「あらら、どうしましょ・・・
とりあえずここで珈琲でも飲んでゆっくり考えようか。」
入った店がボンボヤージュ。
結構良い雰囲気の店じゃないか・・・
出された珈琲を猫舌の柴尾さん、
放って置いて話を始めた。
まさかその様子を豊永氏が渋顔で
見ているとも知らずに・・・。すっかり冷めきり、
ようやく口を付けることが出来るぬるさに
なった珈琲をクイッと飲み干して・・・
おっ!割と美味い!!
お代わりを頼もうと声をかけた瞬間。
渋面頂点に達した豊永氏、一言。
「お前帰れ。」
猫舌という身体的特徴は仕方ないとしても、
折角のホットコーヒー、冷め切った状態で簡単に
飲み干されたんじゃそれでは氏が怒るのは無理もない。
しかし、その一言が柴尾さんの中で強烈な印象を残し・・・。
後々思い出し、焙煎を叩き込まれることとなる。
そして、現在の正式名称の頭にくっついている
「自家焙煎」という言葉が乗ることとなり、
日本初の「自家焙煎珈琲」の移動式カフェとなった。
厳しい巨匠の教えを受けて現在のタオで
出される珈琲、とっても美味しい。
「営業行脚」
焙煎も習い、何とか出来上がった
タオのオリジナル珈琲数種。
細々と田原坂で売っても良いのではあるが、
折角なので色んな所で多くの人に自分達の珈琲を
飲んで欲しいと思うのは至極当然。
だったら営業だ!!!ここから柴尾さんの
熊本県下(主に植木町を中心に)営業の旅(?)が始まった。
目を付けたのは結構大きめのファミリーレストラン系。
・・・が。何故最初に考えなかったのだろう?
そういったところは既に大手の珈琲業者と契約済みで、
新手の名も知らぬ会社には見向きもしないこと。
完全に失恋(?)し、意気消沈・・・する柴尾さんではない。
飲食店が駄目なら他の職種だ!!
狙いを定めたのが有名自動車メーカー『トヨタ』。
で、そこでふと考えた事。
大手の車会社に若造が行っても相手にされないかも知れない・・・
何とか迫力付けて行かなければ。
数ヶ月後・・・体重が+10kgになり、
少なくとも姿だけは迫力ありそうな柴尾さんが完成していた。
その作戦が成功したのかは定かではないが、契約することは出来た。
計算外だったのは、お店に入る為にはその太った分の
体重を戻さなければいけないのを忘れていた事だけだった。
「タオ珈琲(山鹿店)オープン」
山鹿のほぼ中心、芝居小屋「八千代座」を
構える豊前街道の途中に、カフェ ラ タオで初めての
タイヤのない移動しないお店・・・
素直に言えば固定式店舗がオープンしたのは
2000年8月4日。
実は地元人に言わせれば長い間忘れられた古い街道沿い、
国から重要文化財に指定されてる割には
手を出されることの無かった芝居小屋のある場所。
その修復工事が行われている最中のことである。
大改修後、再オープンしたこの場所に
果たして人が集まってくれるだろうか?
大きな賭だった筈だ。
その賭・・・ものの見事に勝利したここ山鹿店。
筆者が一番・・・どころの騒ぎじゃない、
カウンターの椅子が尻に張り付いていても
おかしくないほど存在している場所で、
今までに強烈な印象を残したエピソードが2つある。
2つともカップルネタなのであるがそれは対照的なものだ。
1つめ。
漂うオーラをブラックホールに変えた喧嘩カップル。
どこの喫茶店でも一回や二回や二、三百回くらいは
遭遇するシーンかも知れないが、全24席しかなかった山鹿店。
会話は丸聞こえであった・・・。
一番中央の2番テーブルにて、
喧嘩が盛り上がるほど声が大きくなり、下手しなくとも
エキサイトしていくのが分かる。
最後は女性の方が怒って店を飛び出し、
男性は為す術無く座り込んだままの悲惨な状況の中で
柴尾さんに出来た最大の配慮は、
お釣りを用意することだけであった。
2つめ。
人生史上、5本の指に入るであろう決定的感動の
瞬間を見せつけてくれたプロポーズカップル。
多分、県外から来られたお客様だったのだろう。
小洒落た今時の店・・・ではなく、
通りがかりに見つけた静かなアジアンカフェでさり気なく・・・
良いじゃないですか!!・・・・・・と、
筆者が興奮してもしょうがないのであるが。
どちらにしても、こちらは滅多に見られる場面(モノ)ではない。
結局は大団円でまとまっていらっしゃったらしいのであるが・・・。
この2組のカップル・・・今でもどこかで
お元気にしてらっしゃるのだろうか?
出来ることなら、
幸せな毎日を送ってらっしゃる事を願いたい。
「唐突ですが、受験生になりました。」
青天の霹靂、寝耳に水。
山鹿店がオープンして一年と少し経った頃。
柴尾さん、何を考えたのか突然受験生宣言し、
猛勉強を始めてしまった。
人がやらないことをするのが趣味、
人を驚かせるのが楽しみということを人生の
モットーにしている(らしい)柴尾さんは、
いつも何かしらやらかしてくれて
見ていてとっても楽しいのである。
が・・・こりゃまた凄いことを・・・
否、無謀というか何というか・・・
コメントに困るようなことをおっ始めたな・・・
というのがその事を聞かされたとき
思った筆者の正直な感想であった。
多分、それに結構近い感情が他スタッフ、
お客様の中で去来したと思う。
そんな雰囲気を知ってか知らずか柴尾さん、
ガリ勉した。しまくった。
山鹿店のカウンターの隅っこで、
家庭教師の怖い先生に怒られながら・・・頑張った!!
年が明け、センター試験に突入。
何を考えたのか、センター試験なんぞ受けん!!!
と豪語しまくっていた柴尾さんであった。
結局・・・試験の日程を一日間違え、
前日に会場へダッシュし、すごすご帰る羽目になる
という大ボケをかましつつ、センター試験を受験。
そして何と今年の4月、多くの人の期待(?)を
見事裏切ってしまったのは・・・皆様もご存じの事実。
毎日、元気にバイクをぶっ飛ばして大学生をしておられる御様子・・・。
「何にもしてないように見えて実は、何でもしていた2001年」
受験期間中、店のシフトにも入らず、
ひたすら勉強していたかのように見えた柴尾さん。
んが、実は何でもしていたのである。
聞けば本当に勉強する暇があるのかと疑問に思えるほどに・・・。
その足跡は実質として残っている。
昨年立て続けにオープンしたチャレンジショップ
TAO VANCAME(久留米店)
Japonic Cafe 橙(植木店)と
T・A・O cafe(子飼店)、そして代理店。
おまけに、中学高校、その他色んな所で行っていた講演会活動。
挙げてみればキリがない。
他にも通常業務として珈琲豆の焙煎。
本当に勉強する暇があったのか?・・・
あったんだろう、現に合格しているから。
「植木店、子飼店オープン裏話」
2001年10月31日オープンした植木店、
そして12月4日オープンした子飼店。
完全なる計画的なモノに見えるが、あんまりそうではない。
子飼店は計画の内に入っていた。
柴尾さんが目指していた大学は熊本大学。
子飼商店街は目と鼻の先だ。
子飼商店街に店を出した理由を当時、
柴尾さんはこう宣言していた。
「大学に近いし、直ぐにでも自分が行ける場所だから。」
・・・自分で自分の首をキュッと一捻りしてしまう発言。
本人曰く、これが大切だったらしい。
合格願掛け的存在。
これだけ宣言して失敗したらかなり格好悪い
・・・と筆者も思う。
格好悪くならなくて本当に良かったね
・・・それが正直な感想。そして植木店。
実はナイスなタイミングで物件が空いたそうだ。
田原坂公園に本店はあるものの、植木に拠点が欲しかった。
それだけなのである。
「タオメールマガジン」
これも昨年スタートしたモノ。
受験生になり、表舞台にこそ立たなくなった
柴尾さんだったが、それでも何とかお客様との
繋がりを消したくなかった・・・
だったらメールマガジンだ、
と案外簡単な動機だった。
基本的には週に一回、イベント出店等の
タオ情報が送られてくる。コンスタントに
メルマガ登録者は1400人を越え、好評らしい。
随時メンバーは募集しているので、
各店舗、HPにてお問い合わせ願いたい。
「願いが叶うのなら・・・」
今、柴尾さんには、
幾ら望んでも絶対に叶わないことだが、
それでも会いたい・・・
もう一度だけ会いたいと思う人がいる。
柴尾さんが受験生だった頃、
ずっと家庭教師をして下さった先生。
先生は、勉強は勿論だが、
本当に広く沢山の事を知ってらっしゃって、
どちらかと言えば勉強の事より、柴尾さんには
そちらの方を熱心に聞かせてくれた。
その中でも一番印象に残っている話を取り上げてみたい。
新聞第1号で取り上げた「文化」について。
先生はフグを例に話をしてくれたそうだ。
昔々、釣りをしていた人がいた。
初めて見るトゲだらけの魚を食べ、美味いと思ったが
毒に当たって死んでしまった。
それを見ていた人がまた同じ事を繰り返し、
延々と続いていく内に死人が出なくなった。
これが「文化」だ!!!
・・・と、先生は断言された。
最初聞いたとき、柴尾さんに頭は
【?】マークだらけであったそうだ。
何が文化?どこをどうやったら文化??
What's???
しかし、日が経つにつれてその話の本当の意味が分かってきた。
成る程・・・と。
その先生は柴尾さんにこうも仰ったそうだ。
「君の発言を世に提言する為に
新聞を作ってみないか?」
これで殆どの方がお気付きだろうが、
その先生の一言が柴尾さんを動かした。
ついでに筆者である私も動くことになった。
しかし。
柴尾さんの勉強が佳境に入る頃に病気を
されて入退院を繰り返されていた先生。
「がんばらない」の完成を見ることもなく
お亡くなりになってしまった。
出来ることなら・・・
第1号だけでも見て頂きたかった。
何か言葉を頂いて、もっと色んな話を聞いてみたかった。
今まで夢を実現させてきた柴尾さんが願う、
絶対に叶う事はない望み。
そして出来ることなら私もお会いしてみたかった。
だけどもし会えるのなら。
これだけは伝えたい。
「先生発案の新聞、今も続いています。」
屋台からスタートし、移動式の車へ、
そして固定の店舗、夢を託す代理店の展開。
突っ走り、頑張り過ぎて倒れたりもした。
様々なお客様、スタッフとの出会い。
苦労したことも、楽しかったことも・・・
前回から2回に渡ってお送りした
笑い話中心の出来事も。
今となっては良い思い出。
まだまだヨモヤマ話は増えていく。
彼らが存在していく限り・・・は。
第107回は、10周年のアニバーサリーです。
先日は106回目のタオパーティーにご参加頂きました
お客様ありがとうございました。
<写真は106回の様子>
次回はとうとうタオパーティー10周年を迎えます。
107回は参加できる定員を増やしまして
大いに盛り上がる会にしようと
試みております。検討されている方々
お早めのエントリーお願い致しますね!
詳しくは「こちら」まで