がんばらない⑥本物マラソン。

第6号タオ新聞「本物を求めて」

 


「【本物】を求めて。」

<今から16年に書かれたものです>

 



日頃この「がんばらない」を御愛読頂き、

感謝の念で一杯である。

今回のテーマは前号に予告した通り『本物』

では、最初に『本物』とは一体何であろうか?

 



彼曰く。

 

「当然のもの」

 

 



当たり前に存在し、そうでなければ

いけないもの。

そしてもう一つ、言葉を

変えるのであれば、

 

 



「失って初めて気付くもの」

 

 



しかし、その『本物』という事実は、

『本物』を作っている本人達には

分からないし、いくら本人達が

「これは本物です」と声高に言ってみたところで、

決定権があるのはそれを使うお客様。

言い方に語弊があるかも知れないが、

『本物』として生き残っていけるのは・・・

認められたものだけなのだ。



こういう風になっている世相が少し

おかしいのかも知れないが・・・。

 

 

『本物』を語るために、一例を

挙げてみることにする。

例えば・・・。



友達。



彼のとある友人が事故に遭い、

怖かったというメールを送ってきたらしい。

その知らせを受けた彼・・・といえば。



「ああそうなのか・・・それは大変だっただろうね。」



と思い、別にメールを送ってくる位に

元気なのだったら、と返信を送らなかったそうだ。

日数がある程度過ぎたところで・・・。

その人を含めた何人かで飲みに行った。



そして御本人にあの時のメール連絡以来

久しぶりに会って開口一番に言われてしまった事が

 



「貴方だけだよ、あの時に返信してくれなかったのは。」

 



どうやら彼一人だけが返事を

くれなかったらしいのだ。

そのことで少し気分を害しているらしかった。

とにかくそれはそれ、夜も更けて

お開きになり家路を急いでいると・・・

突然傍らで鳴り始めた

携帯電話の着信はその友達の名前。



電話に出ると、ちょっとだけ

切羽詰まった声で用件を述べ始めた。

家の付近まで帰り着いたは良いが、

どう見ても挙動不審な男が

玄関先を彷徨いている、怖くて家には入れない、

どうしよう?という電話だった。

彼はその人の元に急ぎ、一緒に行って

家の中に入ってしまうまで送り届けたのである。


因みに。



この時、彼だけしか現場までは

来てくれなかったという・・・。

 

 

さて・・・この例から考えられる事。

『本物の友達』

というのはどういうことだろうか?



例の中で挙げた事を使うのなら、

事故にあった、みんなに連絡した、

みんな大丈夫?とか言って

くれた、だが彼だけ返さなかった。

そして今回、助けを呼んだ、

他は誰も来てくれなかったけれど、

彼だけはわざわざ戻ってきて送り届けてくれた。

事故の場合、彼の言う通りメールを

打ってくるという事は無事だという

しるし、だったら何を言う必要がある?
 

でも・・・。



本当に助けが欲しい、

今、助けて貰わないと不安で仕方がない。

そういった「本当に助けて欲しい」と思って、

求められた時に助けてあげられるのが本物の友達

ではないか?と彼は考えているというわけだ。

そしてそれが当然であると・・・

彼は思っている。



その行為は多少解りづらい事かも知れないが、

それが彼を形成しているモノなのだろう。

 

 

言われてみれば、

そうなのかもしれない。

『本物』を提供している場所で

簡単に我々は手に

入れてそれを使用したり、

ここでは珈琲を飲んだりしているのだが、

誰もが見えないところで血の

滲む様な努力を惜しんでいない。



カフェ ラ タオのマスターである

彼も珈琲豆を厳選し、焙煎の巨匠と呼ばれる方を

師と仰ぎ、真剣に一回一回の焙煎を行っている。

その理由はただ、お客様に『本物』を

知って頂きたいが為、『本物』の

味を提供したいが為・・・

それだけである。



我々消費者というのは

提供されたモノをただ、使うだけ。

その奥の努力などハッキリ

言ってどうでも良い事だ。

どうでも良い事なのだが、

見えない努力の跡を知らない内に感じ取り、

気付かない間にそれを求めている。

求める、そして提供者と

利用者で互いにそれを守る。

残っていくのが・・・『本物』



消えていってしまうのは必要な

努力を怠ったもの、

つまり『偽物』だけだ。

 

 

何も証明するものはない。



証明させるものは必要ない。



ただ先に繋がる未来に、

先駆者が既に存在しない世に

なってもそれでも残された遺産が『本物』

残せるであろうか?

 



彼に。残して欲しい。

 



「本物」を。

 

 

 

熊本城マラソン2017に出場します。

やばいか、やばくないかといえば

「無茶苦茶やばいです。」

 

 

元々マラソンにチャレンジする

切っ掛けとなったのが

数年前の40歳。

 

36歳の頃に、同級生と数名で

「40歳になった頃、マラソンを   皆で走ろう」

というものだった。その時は

皆、自分らが40歳にならないと

でも思っていたのだろう。

40歳になる直前に皆に問い詰めてみた。

 

「仕事が忙しい」

 

「なかなかフルマラソンは厳しい」

 

「マラソン大会に行くお金がない」

 

など事情は様々でした。

 

そうだろうよ!俺もそうだから、でも

健康維持や目標を作ろうと言って

予告していたなんじゃないか〜!

よし、俺だけでもフルマラソンにチャレンジしたい!

と、ホノルルマラソンに申し込みをした。

 

馬鹿みたいに練習した。

 

決して足は早い方ではないけど

必死で完走を目指した。

その結果、なんとか完走だけはできた。

 

 

 

 

完走の感想は・・・・

 

 

 

「悔しい」

 

 

 

自分の時間配分に対しての詰めが甘すぎた。

決して記録だけの話をしているわけじゃない。

マラソンとは人生そのものだ!

 

 

なんか、どこかで聞いたことのあるような

感想を提げて継続することにした。

 

 

そこで継続大会に選んだのが

 

「熊本城マラソン」

 

ひねりもなく地元の大会だ!

 

海外や、他県に行くと継続できないと考えた。

 

自分が逃げてしまわないように仕向けた。

 

今年で3度目の熊本城マラソン。

 

ここ半年、今回は全く練習ができていない。

 

自分の言い訳にうんざりもする。

 

自信は全くない。でも完走はしたい。

 

これほどにも練習の素晴らしさを

感じる大会はないはずだ。

ひょっとして完走すらできないかもしれない。

今更、ジタバタしても仕方ない。

怪我しないように楽しみたいと思う。

 

 

 

 

 

最後にもう一度。

 

 

人生はマラソンである。

 

熊本城マラソン.jpg