がんばらない⑤人権チョコレート。

タオ新聞第5弾。

地域のおばちゃんの主催している「人権講座」に

通っていた時期もありましたね〜。

仕事の合間に(笑)

 

 

「The human rights,the rights and the duty」

<この作品は16年前に書かれたものです>

 

 

人間が複数で生活しようとする。

するとそこには大なり小なり争い事が発生する。

同じ血の繋がりを持っている家族の中で

それが起きるのであるから、

友人、知人、恋人同士・・・

ましてや他人の寄せ集めで形成される会社や

地域、国、世界の中では当然の事といえよう。

ヒトとヒトとが出来るだけスムーズに

コミュニケーションをとれるよう、

ある程度の制約がある。

それはわざわざ口や紙切れでカタチを

残すように交わされたり、

宣言したりするモノではなく、

無言の約束。



そうやって生活していく内に自然発生的に

生まれたのが権利であり、義務。

ヒトの為の権利、それが・・・人権?

 



県内某所。

 

 


朝も早い時間帯、丁度小・中学生が

登校する七時頃である。

その辺のレストランから抜け出してきた様な

格好で道路脇にこれでもかと背丈ほどに

生い茂っている雑草を刈る一人の男。

何をやっているのであろうか?

別にただボランティア精神旺盛に草刈りを

しているわけではなさそうだ。



彼はその時、実験中だった。



最近の子供は挨拶しない

と言われているが・・・

果たして本当にそうなのか?



確かめる為に朝早くから生徒の

通学路を草刈りし、声をかけて

みたら一体どうなるか・・・?

という趣向である。



ターゲット(中学生)が自転車に

乗ってやって来た。

 

 

 

 


「おはよう!」

 

 

 

 



はっきり聞こえるくらいの声で挨拶をしてみる。



・・・が。



大半の方が予想されている通り、

生徒は不審そうな表情で

彼を無視して行った。



実験初日。

結果は・・・惨敗。

 

 

 



しかし

ここでやめてしまっては意味がない。



彼は毎朝毎朝、懲りもせずに

同じ所で同じ姿で同じように挨拶をする。



毎回のように無視される。

繰り返し・・・。

 

 

 

 



一週間が過ぎた頃だろうか?

 

 

 



「・・・おはようございます。」

 

 

 



吹けば飛びそうな小さな声で、

初めて返ってきた言葉。

すると次々と同じ様な感じでは

あったが、挨拶が返ってき始めた。

だいぶん彼に慣れてきたのであろう。

日が経つにつれてその声は

段々ハッキリしたものとなっていく。



そしてとうとう一ヶ月後には・・・。

「おはようございます!!」

 

 



草刈りに集中していた彼の耳に

飛び込んできた元気の良い声。

子供達の方から挨拶をしてくれた。

この様子に流石の彼も

かなり驚いたらしい。



最終的に実験は大成功であった。



彼の睨んだ通り、子供達は

別に挨拶しないわけではない。

確かに、彼がずっとそこにいて、

しつこく(失礼)声をかけているから

慣れて、しょうがねぇな

という意識で挨拶を

返し始めたのかも知れない。

しかし、

本当に挨拶をしないのであれば・・・。



どんなに一ヶ月間かけて彼が

声をかけようとも絶対に

返ってくる事はなかったであろう。

そこで出した結論は一つだった。

 

「子供達が挨拶をしなくなったのではない、

大人達がしなくなったのだ。」

 

 

 



子供は親の背中を見て育つと言うが、

立派な大人であり親である彼等が

自分は自分、他人は他人という意識を持ち、

隣人に関しても我関知せず

精神で通そうとするから

それを見て子供は「ああ、別に良いんだ。」

という意識が働くのだ、と。

見ていないようで

子供達は大人達を見ている。

最近流行っている『いじめ』

それについても同じではなかろうか?



会社や近所付き合いで同僚の誰かを

気に入らないからと言って無視したりする。

それを感じ取った子供が、自分より弱いと

認識した者を蔑ろにしたり、

無視してみたり、だから

と言って一人でやるのは怖いから集団で。



昨今『人権』を叫ばれ、

子供の『いじめ』が問題とされているが、

そうなる原因を作ったのは果

たして誰であろう?

 

一昔前は、子供が何か悪い事をすると、

自分の子供でもないのに

飛んできて怒ってくれる大人が

存在していた。



今は他人の子供は疎か、

自分の子供でさえも怒れない大人が増えている。

彼の様に、例えば地域のおじさん(笑)

が朝っぱらから子供達に

向かって挨拶をする。

否、本当の意味での『挨拶』を教える。

それ以外にも多分もっと沢山の事を。

それはきっと、学校や塾で教えて

もらう事よりもう少しだけ大切な、

生きてく上で必要不可欠な

本当の意味での教育では

ないだろうかと彼は考え始めていた。

 

人権を語ろうとすると、

十人十色、考え方は何通りもある。

一口で言ってしまうには幅が広すぎる。



侵害する側される側、その片方だけでも

意見は沢山あって、それぞれを非難する。

たまに最もらしい発言をする者も出てくるが、

それもまた・・・

結局、本当の事は闇の中である。

 

 

 



【ヒトがヒトとして生来持っている権利】

それが人権。

 

 



生き抜く為に、生きて、

頑張れる為に存在する当然であろう権利。

ただ、忘れてはいけない。



権利というものがある限りは

義務がくっついてくるという事を。



権利と義務。



権利だけを主張していては何もならない。

やるべき事をやってから・・・

義務を果たしたら・・・

権利を主張する資格を得る。

 

一般的には人権は上の様に

定義されているが、

 

では、柴尾稔生氏個人にとって

『人権』とはどう

いった存在であるのか?


 

 

 

 

 

 

 

 



『本物を見抜く力』

 

 

 

 

 

 

 


 

たっぷり悩んだ後で、そう答が返ってきた。

では『本物』とは?

それはまた、次号へと続く・・・。

 

 

 



最後に・・・。

これは皆様でどういった意味を

持つ台詞なのか考えていただきたい。

人権を侵害しようと思うなら

男女間でもそれは成り立つ。

簡単な例えを出すのならば

『プロポーズの仕方』。

「あなたの作る御味噌汁が飲みたい」とか、

「俺の子供を産んでくれ」というのが

一般的らしい。



男性から女性へ。



それが普通。だが最近では女性から男性へという

パターンもあるらしいのだが。

 



「あなたの産んだ子供の父親になりたい」

 



これは柴尾稔生流「人権的」プロポーズの

仕方・・・だそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

驚きを隠せはしない。

いきなりですが。。。

 

「私はサプライズのプロフェッショナルです。」

 

 

 

 

いい意味で、人を騙すのが大好きです。

サプライズが大成功すると、心がスカッと

気持ちよくなるからです。

 

しかし、驚かせられるのは

本当に嫌いです。

 

 

本当は嬉しいのに,嬉しくないように見える

リアクションだった時の相手側の気持ちを考えると

潰されそうになります。(笑)

 

なので、できればプレゼントやサプライズは

しないでと欲しいとお願いすることが多いです。

 

 

本人たちは驚かすつもりではなかったのでしょうが

バレンタイン前日だったということで

全く忘れていて、頂いた時に素直に

喜びました。ふぅ〜ありがとね。みんな。

 

チョコ.jpg

 

お酒好き♡いちご好き♡に因んででしょう。

木箱入りのVIP対応ありがとうございました。

美味しい珈琲、琥珀の女王と一緒に

いただきました〜。