仕事から戻ると何気にTVをボーっと見ていた。
地球ドラマチックで「アフリカの不思議な巨人?」キリンの生態を調べる砂漠地帯の現状。
ナレーターは渡辺徹さんがしていた。
深夜番組のNHKには魔力があり、ついつい時間が経過してしまう。
以前から好きな番組のひとつに「漫勉」という番組がある。
初!いよいよ浦沢直樹が登場してきた!
2008年から連載してきた時空を超えたSF大作「BILLY BAT」が、
今年の秋、最終回を迎える。なんとその最終回の執筆作業に、10日間にわたり完全密着!
現代の漫画家の最高峰のペン先映像を記録した。今回は、浦沢直樹が、
自身のペン先映像を観ながら、独自の視点で解説。浦沢自身も今まで気づかなかった漫画家「浦沢直樹」の秘密に迫る!
いや〜瞬きを何回したか数えられる気がする。
見たというよりも「感じ読み取って」しまった。
さらに興味深い再放送が始まりました。
「スーパープレゼンテーション」(10/6放送分)
どうしても皆さんにこの感動は伝えられないかもしれないと思ったが
紹介しておきたいと思った。
内容
25年以上にわたりアフガニスタンで活動するイタリア人の理学療法士、アルベルト・カイロが登場。
対人地雷により障害を負った人々へ車いすや義足を届けるため、
危険を顧みずアフガニスタン全土を駆け回ってきたカイロ。
みずからが働く国際赤十字委員会のリハビリセンターでも
元患者を積極的に雇い入れるなど、患者の社会復帰を強くサポートしてきた。
患者の人生と真剣に向き合う中で身をもって学んだことを語る感動のプレゼン。
アルベルト・カイロのアフガニスタンの治療院は、
かつては戦闘が起きると閉鎖していました。
現在は戦闘中でも開いています。TEDxRC2(RCは赤十字/赤新月を意味します)で、
カイロは、戦いの最中に人間性と尊厳を見い出すことができたのは、
なぜ、そしてどのようにしてであったかを語ります。
アルベルト・カイロ: 人にはクズなどいない
アフガニスタンに来て21年になります 私は赤十字に勤務している 理学療法士です 私の仕事は義肢を作ること― それだけではありません それ以上のことも行います 私たちは患者たち 戦争で傷ついた人々の 肉体をまず回復し 次に社会復帰させます 当たり前の段取りのようですが 最初からそうではありませんでした 長年の間私たちは彼らに ひたすら義肢を作ってきました 現在のようなプログラムになるには 長い年月がかかりました
今日は計画の転機となった 出来事をお話ししましょう 転機をもたらした 人たちのお話です アフガニスタンに赴任したのは 1990年のことでした 病院で 戦傷者を救うためです いや 戦傷者ばかりではなく あらゆる患者も診ました 私は同時に 整形外科センターも担当しました センターでは義肢を作ります 当時 私は 何が何だか わからない状況にあり センターの仕事に取りかかる 準備ができていませんでした 学ぶことがあまりにも多く 初めてのことだらけでした でもやりがいのある仕事でした すぐに戦闘が激化し 機能回復訓練は中止されました 他にやるべきことが多過ぎたのです 整形外科センターは閉鎖されました 機能回復訓練が 優先されなかったからです 妙な気持ちでした 私がこのことを話す時には必ず あのときの感情が 過去からよみがえるのです 21年も経つのに 克明に思い出します
1992年に ムジャーヒディーンがアフガニスタンを支配すると 整形外科センターは閉鎖されたのです 私は国内で難民となった人々の 世話をすることになりました ある日 事件が起こりました 私がモスクでの食糧配給から 戻る途中のことです モスクにはとても大勢の人々が 劣悪な状態で避難していました 私は家路を急いで車を走らせていました 分かるでしょ 何かを忘れたいときには 周りのものに目をやりたくなくて 部屋に閉じこもりたいと思うでしょ そして 「もういやだ」と叫びたいでしょ 車の近くで爆弾が炸裂しました 離れていましたが 轟音がとどろきました 通りからは人影が消えました 車も姿を消しました 私も身をかがめました 道の真ん中に一人 誰かがいました それは車いすに乗った男で 必死に逃げようとしていました
正直言って 私は 特に勇気のある人間ではありませんが この男を無視できませんでした それで車を止め 助けに行きました 男には足がなく 腕も片方だけでした 彼の背後には小さな子供 彼の息子が 顔を真っ赤にして 車椅子を押していました 私は彼を安全な場所に連れて行き 尋ねました「こんな時に表通りで一体何をしてるんだ?」 尋ねました「こんな時に表通りで一体何をしてるんだ?」 「仕事です」 一体何の仕事だろう? さらに愚かなことを聞いてしまいました 「義足はどうした? なぜ義足をつけないんだ?」 「義足はどうした? なぜ義足をつけないんだ?」 「赤十字が閉鎖されました」 深く考えずに私は彼に言いました 「明日来るんだ 義足を作ってあげよう」 「明日来るんだ 義足を作ってあげよう」 そう言って そのマフムードという男と その息子のラフィと別れたのです 「ああ なんてことを口走ったのだろう」 センターは閉鎖されていて 誰一人いないというのに 機械も壊れているだろう だれが彼の義足を作るんだ?」 彼が来ないことを祈りました これは戦禍の最中の 当時のカブールです 「あの男に少しばかり金をやればいい」
次の日 私はセンターに行きました 門衛に会って 言うつもりでした 「かくかくしかじかの男が来たら 私が言ったことは間違いだったと伝えてくれ 今は何もできないんだ 少し金をやってくれ」 マフムードと彼の息子はすでに来ていました 彼らだけでなく 彼のような患者が15 いや20名は来ていました スタッフも来ていたのです その中には私が右腕と頼る男もいました ナジムディンです 門衛は私に言いました 「彼らはセンターが開かないかと毎日来ているんです」 「だめだ 帰ってくれ ここにいてはならない」 「だめだ 帰ってくれ ここにいてはならない」 砲撃は続いていました 爆発音が聞こえていました 「ここはだめだ 危険すぎる ここは安全な場所じゃない」 ナジムディンは「お願いです せっかくですから 壊れた義肢を直すことぐらいはしましょう マフムードたちのためにも 何かしてやれるかもしれない」 「いや それはできない ほんとに危険なんだ 他にやらなきゃならないこともある」 彼らは頑固でした 20人もの人々と 面と向かって対峙して 決断を迫られたのです...
結局修理を始めることにしました ある理学療法士の報告では マフムードには 義足をつけられるが 即座にはできないということでした 足が腫れていて 膝が硬くなっていました 準備に日にちがかかるとのことでした 私は心配でした 私がルールを破ったのですから 私がしているのは 本来してはならないことだったのです その夜 本部の上司たちに報告に行きました 私は嘘をつきました 「一日に数時間 義肢の修理を 行う事にしました」 ここに上司がいるかもしれませんね
(笑)
仕事を開始しました 私は毎日通って 難民たちのために働きました ナジムディンも一緒です あらゆる仕事をし 患者の報告をしてくれました 「患者がどんどん来ています」 それほど多くは来ないと思っていたのですが 戦禍が続いているので 患者はどんどんやってきました マフムードも毎日通ってきました 徐々に 週を重ねるごとに 彼の足は良くなってきました 義肢の型が取られました 本格的な機能回復訓練が 始まりました 彼は毎日通ってきました 前線をくぐって 私もマフムードと彼の息子が通る 前線をくぐったことがあります それは恐ろしい体験でした 毎日通うというのは実に驚異です
とうとう待ちに待った日が来ました マフムードが新しい義足をつけて 退院できる日が来たのです それは4月のことでした 素晴らしい天気で カブールの4月は実に美しいです バラや花々が咲き乱れます 窓に土嚢を積み上げた 屋内に籠もってはいられません 屋内は陰気で 暗いです 庭の中に場所を見つけ マフムードは義足をつけました 他の患者達も同様にして 退院する前の最後の歩行訓練を 行いました
突然 2つのゲリラの軍団が 戦闘を開始しました 空気を切る 弾丸の音が聞こえました 私たちは塹壕に向かって 走り始めました マフムードは息子を 私は誰かをつかんで だれもが何かをつかんで 必死に走りました 遮るものがない所では 50mはとても長い距離に感じます なんとか塹壕にたどり着きました 中に入ると 皆 肩であえぎました 座るとラフィが父親に言うのが聞こえます 「父さん 僕より速く走れたね」 (笑) 「もちろんさ 走れるよ おまえも学校に行けるな 一日中 父さんの車椅子を 押さなくてもいいからね」 彼らを家に送り届けたときの 光景が忘れられません マフムードと息子は空になった 車椅子を二人で押して行ったのです その時 私は理解しました 肉体の機能回復訓練を優先すべきことを 尊厳の回復を最優先すべきことを
その日以来 センターは休みなしです 数時間作業を中断することはありましたが 決してセンターを閉鎖したことはありません マフムードには一年後に再会しました 彼は元気で 少しスリムになっていました 義肢を― 新しい義足に 交換する必要があったのです 息子のことを尋ねると 「学校に通ってます 元気にしてますよ」 マフムードが何か言いたそうなので 「何だ?」と尋ねると 彼は汗を浮かべて あきらかに恥ずかしそうに 私の前に 頭をうなだれて 立っていました 「先生のおかげで歩けるようになりました そのことをとても感謝しています もう一つ 私を物乞いから救ってください」 それが彼の仕事だったのです 「子供達が大きくなっていきます 私は恥ずかしいです 子どもたちが学校で他の子達から からかわれるのはいやです」 「わかった」私は答えました ポケットにいくらあったろう? 金をやるのは 簡単だ マフムードは私の心を読んでいました 「私は仕事が欲しいんです」 そして続けました その言葉は一生忘れられません 「私はクズのような男です でも もし先生が助けてくださるなら 何でもします 地面を這ってでもやります」 そう言うと彼は腰をおろしました 私も全身に鳥肌を立てながら腰をおろしました
両足はなく 腕も一本で 読み書きもできず 技術の訓練もない男に― 一体どんな仕事があろうか? ナジムディンが言いました 「木工場で一人必要です」 「何だって?」 「義足を増産しなければなりません 足裏を貼り付けねじ止めする 者を雇わねばなりません 増産する必要があるのです」 「何だって?」 信じられませんでした 彼は続けて 「作業台を改造して 特製の椅子を取り付け 特製の金床と万力を取り付け 電動ドライバーを入れましょう」 「おい そりゃ正気の沙汰じゃない しかも厳しすぎる とても速い生産ラインじゃないか できるわけのない 仕事を与えるなんて 残酷だ」 ナジムディンは一徹です 私ができたのは わずかな妥協を引き出すことでした それは 一週間 一週間だけ試しに雇用することでした 一週間後 マフムードは生産ラインで最速の工員でした ナジムディンに「ウソだろう 信じられない」と言いました 生産性が20%向上しました 「これはウソだ ウソに違いない」 私は証拠を求めました 生産性の向上は本当でした
ナジムディンはマフムードに何か光るものを見ていました 私は自分が今度も 間違っていたことを理解しました マフムードは大きくなって見えました 作業台の向こうで微笑んていたのを覚えています 彼は生まれ変わったのです さらに大きく見えました もちろん 彼が大きく見えたのは 義足のおかげでした もちろん とにかく最初のうちはね 彼を大きくしたのは尊厳です 彼は仕事を得ることで 人としての尊厳を取り戻したのです そこで 私たちは新たな方針を打ち出しました 斬新な方針です それはできるだけ多くの 障がい者を雇用して 彼らのできる仕事に就かせること これを「肯定的差別」方針と 呼んでいます
この方策は 皆のためになるのです 皆が利益を受けます 雇われる人々は 仕事と 尊厳を手にします 新しい患者達にも益があります 毎年7000人の患者が 新たにやってきます 助けてくれる人達も自分と同じだと 知った時の彼らの顔つきったらありません 患者たちの 「おお」という顔つき その顔つきを見ていると 驚きが希望に変わるのです 私にとっても障害を経験した者たちを 訓練する方が利にかなっているのです 本当です 覚えの早いこと― 動機が違います 患者の気持ちをくみ取る能力は 本当に優れています 人間にクズなんてありません
マフムードのような人間が 世界を変えるのです いったん変え始めたら 止められません こうして人を雇い続けます それだけでなく新たなプロジェクト 少額低金利融資や教育も始めています いったん始めると 止められません 職業訓練も行います 学校に行けない者達への在宅教育も 理学療法はセンターの外でも 一般の家庭でもできます よりよい方法を模索しています 白い上着を着ているのがナジムディンです あれが恐るべきナジムディンです 私はナジムディンやマフムードやラフィのような人々から多くを学びました 私はナジムディンやマフムードやラフィのような人々から多くを学びました 彼らは私の先生です
私には夢があります 大きな夢です それはこのような活動 このような考えが 他の国にも広がることです アフガニスタンのような戦禍にある国はたくさんあります 運動を広げることは可能で難しくはありません すべきことは 助けるべき人々の 声を聞くことです そして彼らを 意志決定のプロセスに参加させることです そして運動に参加させることです これが私の大きな夢です
アフガニスタンでの変化はまだ十分ではありません まだまだです まだ途中です 最近始めたプログラムは スポーツプログラムで 車椅子の患者にバスケットボールをさせるものです 車椅子をあちこちに運び アフガニスタンの主要都市にチームをいくつか作りました 最初 ナジムディンが私に 「やりたい」と言ったとき 私は躊躇しました 私の返事はもちろん「だめだ」 「だめだめだめだめ 絶対だめ」 いつもの質問をしてみました 「これは優先事項なのか? これは本当に必要なのか?」 今の私をご覧なさい 練習の一つも見逃しませんよ 試合の前の晩は緊張します 試合の最中の私は 生粋のイタリア人みたいに叫んでいます
(笑)
次は? 次に何を変える? まだ分かりません でもナジムディンと友人達は 何か企んでいるようです
これが私のお話です どうもありがとう
(拍手)
これは体験した人が
語り始めて人の心を捉え伝わるんだと思う。
きっと私が乱用して伝えても全く感動は伝わないかもしれない。
一人でも多くの方が興味を抱いてくれたら幸いです。
私はこの番組を通しで考えるものがありました。
私の仕事はコーヒー職人であります。
珈琲職人は直接的に人の生命を左右するような仕事ではありません。
しかし、どんな仕事にしても、どんな「覚悟」で望んでいるかは
大きく存在し、人の心を捉えるに違いないと信じている。
私の珈琲がより多くの方の幸せに繋がるためには
徹底的な拘りが無ければ仕事が成立しない。
このぐらいでいいだろう!という仕事は全然存在してはいけないのだ!
キリンの生態を研究している人。
その番組を創っている人。
ナレーションでわかりやすく語れる人。
命を顧みず紛争地域で働く人。
納期に追われ38年間漫画を描き続けた人。
隣で一緒に番組を見てくれている妻。
私には何ができるのだろう?
好きなことを仕事にすることは簡単ではない。
それは好きなことの延長では仕事が成り立たないからであります。
私はコーヒー職人。妥協は微塵も許さない。
それは私が選んだ道。仕事だから
とことん向き合っていこう。