がんばらない③ベトナムと輝月。

タオ新聞第3弾でございます。

私のturning pointにもなりました。

私の座右の銘にもなりました。

この話、この言葉を超える

言葉を未だに知りません。

では、ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

「ベトナムのきづき」

<16年前に書かれたものです>


 

ヒトは生きている内に何度「気付く」のだろうか?

 



日々の生活に追われて、取り敢えず目先だけを

考えていくことが多くなってきた現代社会で、

一瞬でも良い、立ち止まって辺りを

見渡すことがあるだろうか?

その瞬間の余裕に似た時間の中でヒトは

「気付き」を感じるような気がする。

そしてそれが成長・・・「大人」へと繋がると。

責任と義務という固い言葉に囚われすぎて、

成長を恐れているヒトがかなり多そうだ。

 

 



1999年4月下旬、マスター柴尾稔生氏は

青年会議所からの派遣でベトナムへと飛んだ。



目的はベトナムの人々との交流、ボランティアである。

このボランティアも、少し訳が違っていた。

 



多額の支援金を送り、子供達の為に学校の建設や、井戸を

掘る事業はこれまでに幾度と無く様々な団体が行ってきた。

しかし、年数が経ちそれが劣化してきた時・・・

 

誰が修復するのだろう?



その技術もまだ発達してないその国で、

誰がやるというのか?


そこに目を付けた青年会議所は、

そのアフターケアの為に

ベトナムへ行ったのである。

 


現地に到着し、学校や家のペンキ塗り替え。



一日かけてやる予定だったその仕事は、

元来働き族である日本人の、しかも若い力にかかれば

数時間から半日で終わらせてしまえるような仕事であった。

ぽっかりと空いてしまった残り時間・・・。

メンバーの誰かが、周辺を見渡して「彼等の目」から見て、

枯れた枝葉や落ち葉がそこら中に

散乱しているのを見つけた。

 



「何をしに来たのか?自分たちは。

そう、ボランティアだ。助け合いだ。」

 



その言葉に大きなゴミ袋を掴んだ彼等は掃除を始めた・・・

 

が。たった一人だけ。



それを冷ややか目で見つめ、

参加しようとはしなかった若者がいた・・・。

 



「それを『ゴミ』だと認識するのは、我々日本人の考えだ。

もしかしたら、現地の人々にとってはそれは

『ゴミ』ではなく、何か用途があるかもしれない。

日本とベトナムでは当然のことながら文化も宗教も

考え方も生活様式も異なる。なのに・・・

自分たちだけの考え(偏った考え)に基づいて、

それを勝手に掃除してしまうのは・・・

それはベトナムの人々に対して

とても失礼ではないのだろうか?」



・・・その若者とは彼であった。



本当の意味での「ボランティア」を考えていた彼にとって、

他のメンバーが今目の前で行っている作業が、

とても矛盾したものに思えたのである。



結局最後まで・・・

彼はそれに加わる事はなかったという。

この感じた矛盾と思いが

「何であるか」というのは

その時点では答が出なかったのだが。

 

 



そして数日後・・・。



活動の一環として、孤児院で生活をしている

子供達との交流を行った。

内容は、一緒に動・植物園に行って遊ぶ事。

現地集合の為、目的地に向かうバスの中で、

注意事項が言い渡された。



とにかく財布等に注意する事。



身の回りの貴重品に注意する事。
 

それだった。



単純に(?)それを信じた彼は、現地に到着し、

割り当てられた3人の子供達を見ながら

注意事項を忠実に守っていた。



明らかに脅えて腫れ物に触るかのように接する彼を

見て、当たり前だが子供達は心配する。



ベトナムの言葉で「どうしたの?」等話しかけて

くれたらしいのだが、通訳もない中、

彼が解る筈もなく・・・。



交流の「こ」の字も実践できない中、

時間だけがサラサラと過ぎ去っていってしまった。



そんな時に・・・子供達の目に入ったお店が一つ。

袖を引っ張り、彼をそこまで連れて行く。

そして一生懸命、身振り手振りと

ベトナム語で彼に何かを言っていた。

何だろう?と見ると、

それはアイスクリーム屋だった。



「ああ、勘弁してくれよ〜」

思って彼が頑張って締めていた財布を

緩めようとしたが、

子供達はそうじゃないと言っている。



子供達がやろうとしていた事とは・・・。

 



「何故かよく分からないけど、緊張している

お兄ちゃんにアイスをご馳走してあげる。」

 


だったのだ。
 

全体的に貧困に苦しむこの国の孤児院にいる子供達。
 

彼等が自由に使えるお金は絶対に多いものではない。

 



その中からわざわざ東の果ての国からやって来た

ボランティアの「お兄ちゃん」に

アイスを驕ってくれると

一生懸命言ってくれていたのだった。



何の屈託もない笑顔で差し出されたそれを受け取った

彼は・・・知らない内に涙を流していたという。

 



自分の心の狭さと愚かさを恥じ、

そして純粋な嬉しさを交えた涙を。

甘ったるいアイスだったが、

その味は一生忘れる事は

ないくらいに美味だったそうだ。



後から、お返しに・・・と

彼がアイスを買おうとしたが、

彼等は絶対に首を縦には振らなかったという。



夕暮れになり、帰る時間となった。

ボランティア一行がバスに乗り込む。

見送ってくれた子供達。



窓から顔を出して、自分が一緒に居た

子供達が全力で手を

振ってくれている姿を見た時。
 

 

また、涙を流していた。
 

 

一生懸命手を振った。
 

 

その子達にとってもう行く事は

ないかも知れない場所。



多分、こんな「お兄ちゃん」が居た事も

時間と共に記憶は風化していくだろう。



だけど、一生の思い出となっていれば良い

・・・と、彼は言う。

 



たった一枚残った写真(山鹿店に置いてあるアルバム)の中で、

満面の・・・しかも力強い笑顔を湛えた子供達の中に、

同じ様な顔をした彼の姿が残っている。

 

ベトナムの気づき.jpg

 

 

 

 



とある日の夜。



フリータイムとなった時に、

心底日本食に飢えていた彼等が立ち寄ったのは・・・

日本語で看板が書かれた日本食屋

救いの神かとばかりに早速中へと入ってみた。

・・・・・・・・・・・・・・・コレは何だろう?



確かに・・・和風ではある。



でも何か雰囲気が違ってる・・・。



どこが違っているのか?と

聞かれた場合に答えることは出来ないような

気もするが・・・取り敢えず何かが違う

ことだけがハッキリしている。

注文をして出てきた食べ物を見ても・・・

やっぱり何かが違う。



外国人から見た、日本の印象。



後々に2001年10月にオープンする事となった

「Japonic cafe 橙」の基本はここに始まっている。

 

色々な経験をし、

色々な思いを沢山抱えて、

彼は帰国する。



来た時よりも遙かに長い時間を

掛けて帰ることとなった。



食事が合わなかったのと疲れもあってか、

最悪の状態で長時間の

フライトを過ごすこととなる・・・

 

その間・・・ずっとずっと・・・・・・・

考えていたことというのが・・・。



 

 

 

 

 

 

 



「気付き」

 

 

 

 

 

 

 

 


ヒトは気付かなければいけない。

感じた矛盾、子供達との思い出、

何か違うと思ったベトナムの中の日本。

全ての答えは「気付き」であると。

 

 

ここで経験した事は全て今までの、

そしてこれからの展開に

大いに役立っているらしい。

少なくともベトナムでの出来事や思いを忘れない為に、

全固定式店舗に置かれているベトナムビール、

山鹿店のメニューにはその名の通り

「ベトナムのきづき」という珈琲が存在している。

 

 

 


熱く語ってくれたマスターに最後の質問。

「あなたにとって、『気付き』とは?」

 

 

 

 



「それを感じた瞬間がスタート地点。」

 

 


 

 

ヒトは何回、一生の内で気付くことが出来るだろう?



そこから何かを始めることが出来るだろうか?



何かを生み出せるだろうか?



無限の可能性を秘めて、これからも

彼の「気付き」は続く。


そしてこの話も、次号に続いていく。

 

                  to be continued・・・

 

 

 

 

 

気づきに纏わるet cetera!

「キヅキ」を広辞苑で調べてみると2通りの意味が出ます。

「ず」だと「築き」

土や石をつきかためて積み上げる築造する。きずく。

一つ一つ積み上げて行くことは素晴らしいことです。

しかし、ここでいう私の拘りで大切にしている言葉は

「づ」の方の「気付き」

それまで見落としていたことや問題点に気づくこと。

ベトナムでの経験を生かし、座右の銘にもなった

この大切にしている言葉。

あまりにも好きすぎて

長男の名前にしてしまったぐらいです(笑)

輝月(きづき)

 

月は太陽の光の反射で私たちに見えています。

自ら輝ける月になって欲しいという

意味も込めて「輝月」と名付けました。