ニューヨークで大声を出した。前編

イタリア好きでもアメリカの良さを知りたい。

見出しだけ見れば、私はイタリアだけ好きな人にも見えるが

実は、アメリカの文化も好きでありまして・・・

対局した立場だと、ついどちらかを贔屓してしまいがち。

しかし、エスプレッソにしても

建築にしても互いの立場や環境が変われば

文化も変わるのは当然ですし、そこを知れば知るほど

さらに深く知りたくなってしまう。

今回の弾丸アメリカ(東海岸ツアー)の内容を綴っていきたい。

 

ついにニューヨークへ初上陸。

大好きなANAの飛行機に乗って

やってきたのがニューヨーク!

マンハッタン.jpg

 

旅は、どこに行くかより誰と行くかだ!

実は2ヶ月前からニューヨーク行きは検討していたものの

シアトルにするかを直前まで迷っていた。

NH010の空席状況を頻繁に確認していくと

日に日に空席がなくなっているのが手に取るように分かる。

それで、ついに決断する時が来た。

実は3席シートの真ん中が空いてるなんて不思議と思った。

だって普通はそんな事あまりない。

 

搭乗し席に向かうと、右の席には20過ぎの可愛らしい女性が

すでに座っていた。

私が席に着くと左となりに60代後半の女性が座った。

ニューヨークまでのフライトは10時間以上である。

 

映画を観ては、仮眠して

時間を持て余した時、左の婦人がアメリカの入国審査票を記入していた。

心の中では「あ〜おばちゃん」だったけど、

そこは親切に「漢字じゃなくてスペルだよ」

そしたら、旅の軌跡エピソードが始まった。

「ホテルのスペルを教えて欲しい」と

尋ねられました。正直驚いた。

スペルを聞かれたからではない

私と同じ宿泊ホテルだったからだ。

右となりの子がトイレに行っている間

その婦人と話が盛り上がった。

「えっ?九州出身なの?私は福岡よ。」

そんな時、右の子が戻ってきて

「何、盛り上がっているんです〜?」と話しかけてきた。

実は彼女も宮崎出身ということで

見知らぬ3人が薄暗い機内の中で

大盛り上がりをした。w

 

「留学でニューヨークに来ていて5年のビザを取りました」

 

5年は長いな〜と思ったものの

てっきり語学留学とばかり思っていた。

 

私の夢への経緯。今回の旅の目的。

ご婦人がニューヨークに娘がいる話。

周囲のことへの配慮から小声ではあったが

会話は続いていた。すると

「ぼくですね、2日にナイアガラの滝に行くんですよ〜」と

話をしていたら、これまたビックリ

ご婦人も娘さんと2日の日にナイアガラの滝に行くという。

 

まぁ100歩譲って、機内で話した人と仲良くなれても

入国審査を一緒に受けようとはならなかったと思う。

でも、実の兄の結婚式ですら帰国したくなかった彼女が

親友の結婚式だから帰国を許したのだから

実は留学した時と今回で入国への厳しさを知っている

彼女はビビっていた。

ご婦人もゲートを潜り入国したら娘さんは待っているだろうけど

心細く、一人では絶対できない!と言い続けていた。

私は、海外に行くことが多かったので

入国には自信はあるけど、ホテルまでの経路は

全く分からなかったし、ノープランだったので

ついて行くことにした。

 

1時間も飛行機が早く到着したのに

当日のニューヨークの爆破テロがあったせいか?

入国審査に1時間以上待たされた。

無事に3人とも入国を済ませると

婦人の娘さんとも、すんなり会うことができました。

すると奇跡がまた、起きました。

娘さん。ゴスペルの歌手でニューヨークで活躍されていまして

その恩師(師匠)と右となりの彼女もゴスペルを歌いに

ニューヨークに留学しているらしく

偶然にも先生が同一人物。

なぜだか?4人で集合写真。w

ゴスペル歌手.jpg

 

話が終わらないので次に行こう。w

 

 

 

 

 

無事にホテルに到着した。

そこで親子とは一旦離れ、夜の街に繰り出した。

エンパイヤ.jpg

エンパイヤステートビルに満月も美しい。

ニューヨーク.jpg

看板が、いちいちオシャレだ!

 

 

 

 

ドラマチックなお話。w

奇跡みたいな話は続きます。

10/31といえば、最近ではバレンタインより

大盛り上がりのハロウィーン!

アメリカ文化の影響で日本でも数年盛り上がりを見せている。

今年は日本でも味わい。同日にアメリカで味わえるのは

贅沢である。勿論、本場しかもニューヨークの

マンハッタンの特設ハロウィンパレードロードが

あることを知らず偶然にも迷い込んだ。

 

最初は柵から左右に歩行者が歩いていたので

仮装の人の近くを歩きたいこともあり

中央レーンを歩いていた。

約3kmぐらい歩いたところで段々人が多くなりだした。

しかも左右の歩道には多くの人だかり

なんとパレードの仮装者の中に紛れ込んでしまっていた。

 

これは、ヤバい予感がする!

 

ハロウィーン.jpg

気づけば、見たことのないぐらいの人混みの中に自分がいた。

 

するとドラマティックな出来事が発生する。

 

 

 

トイレに行きたい。

 

 

 

戻るにしても4kmは歩いてきたはずだ。

柵を乗り越えようとしても

ギャラリーで埋め尽くされ、しかも拳銃を装備した

警官が何百人もいた。

halloween.jpg

 

 

 

 

 

ニューヨークに来てまで

ハロウィンを見に来ることが目的なはずがない。

 

 

 

ニューヨークでハロウィーンだからと言って

おしっこを漏らす思い出なんていらない。

 

 

 

柵を越えて、警官に捕まる思い出なんて

考えたくもない。

 

 

 

鳥肌は寒さのせいだけじゃない。

自分に気のせいだ!気のせいだ!と言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

そんな時に、仮装した数名がギャラリーの中へ

柵を越えて脱走している人を見かけた。

正直、あの時のことを詳しく思えていないが

後ろを振り返ることが怖くて

必死て柵を越えようとする私がいた。

 

 

1,2mほとの鉄製の柵。

ゆっくり跨がれば、決して難しいことはなかったはずだけど。

 

 

 

転倒した。左ひざをやってしまった。

 

しかし、右肩もやられていたらしい。

 

 

その時はトイレのことしか考えられなかったが

何万人の人混みの中で

柵を乗り越えられず、観客100人ぐらいの人に

一斉に「お〜」っと言われたのは

いい思い出といった方がいいのだろうか?

派手にヘッドスライディングをした

ベースボールの国だから、私の有志が伝わったに違いない。

 

 

 

 

老体に鞭打ちながら走り続けた。

ホノルルマラソンを思い出し走り続けた。

その時、記録会をするならベストタイムに違いなかった。

 

何キロ走ったか、全く覚えていない。

何を考え、どこに向かっていたのか?

自分自身も全く覚えていなかったが

吸い込まれるように、飲食店に入って

大きな声を出した。

 

 

「プリーズ、トイレット」

もう、語学力がないことを隠さないでおこう。w

ただ、勢いだけは伝わったのだろう。

 

 

ニューヨークでは私の英語が伝わりづらかったのに

初めて、人と人とが伝わった瞬間である。

 

お礼にコーヒーを頼むと

「Because it is an order stop, wear it tomorrow.」

的なことを苦笑いされた。

 

 

 

 

 

次回はセントラルパークの話を香港帰国後に致します。

お楽しみに〜