金沢の気骨。

自分の信じる強い気持ち。

自分の信ずることを貫こうとし、

容易に人に屈服しない、強い心。

マスターはイタリアや香港などの海外だけが

大好きな人だと勘違いされているが、

一番気になって行きたい場所がある。

 

 

 

「石川県」

 

 

 

最近は忙しく趣味をする時間が全く取れませんが

自らの夢に進むものとして「時間は作るもの!」と

ちょっとした時間の合間に本を読んだりしている。

金沢の気骨.jpg

 

 

 

 

金沢の気骨。

 

 

 

 

石川県といえば、日本地図でいうところの

丁度真ん中!金沢は、ど真ん中である。

日本海側の北陸地方に存在する

石川県は、ヨーロッパから洋式艦船を

購入するなど海防に力を注いりと海岸沿いを

生かした貿易なども盛んな街として

知る人ぞ知る存在です。

 

私たちコーヒー業界にも歴史があり

問屋さんが多く存在する場所でもある。

 

 

コーヒーの卸問屋さんに行きたいのもあるが

情緒溢れる金沢の空気を味わってみたいと

憧れるものだ。

この本との出会いは

偶然とは思えない。

 

あまり多く本を読む方じゃない私は

いつも書店に行くと

本から話しかけてくれることを期待する。

本が話しかける?

 

変な話と思う人もいるかもしれないけど

偶然見つけた本が

実際は、本当に知りたいことや

読んで本当に良かったと思える本に

たどり着くことが多くなればなるほど

そう思わざる負えない。

 

この本の世界観に引き込まれていったのは

言うまでもないが

一番、私の旬な話題に問いかけるものは

 

作家と職人.jpg

 

山出保氏の「金沢の気骨」に

“作家と職人は同じか”という章がありました。

来沢したフランスのエルメス社の

ディレクターが市内の工房やお店で、

「作家と職人は同じか、違うか。あなたはどっちですか。」

と職人や店員に聞きくと、“返事がない”か、

あっても不十分であったと言うことが書かれています。


 


そう、コーヒー専門店のスタッフとしては、

外国人から問われることは、まずありませんが、

国内のお客様から問われてら何て応えていたでしょうか。

幸か不幸か今までには、そこまで聞く人もいませんが、

聞かれたら多分“シドロモドロ”で人も

自分も分からない話をするのが落ちです。


私の場合は、多少の知識があるばかりに

聞かれもしない余分なことをいいそうですが(笑)

 

視点の違う幾つもの見方が整理されないまま

ゴチャゴチャになっているので、

聞く人の立場を考えず、勿体つけて

難かしくしたり長くなったり、

分かったような分からない話になりそうです。

 

 

作家(artiste)と職人(artisan)の違いは?

「作品を作るのが作家で商品を作るのが職人」

 

「神の啓示をうけ創るのが作家で、

お客様のニーズで作るのが職人」

(私自身は思ってはいないが、お客様も神様との例え)

 

「宇宙の原理原則をめざして創るのが作家、

お金をめざして作るのが職人」


 

 

「作家は創造性を重視する人、職人は技術に

優れているが、創造的精神の乏しい人?」

 

「職人は、藩政期の士農工商の「工」にあたり、

現在いう美術は当時なく、

美術は工芸に内包していました。

優れた職人は歴史的に尊ぶ伝統があったらしい」

 

「フランスでは、昔は作家と職人は

同一視されていたらしい。

近代の分業指向によって両者は分断され、

作家は芸術家、職人は無名の縁の

下の力持ちのような存在になったとか」

 

等々。


 

 

日本では、特に工芸家は職人であり作家という方も多く、

そういうこともあり作家と職人の違いを

明快に応えられないのでしょう?

また民芸と工芸の違いなど、改めて確認して

おきたいことがいっぱいです。

そう山出氏の「金沢の気骨」は忘れていた

諸々を呼び覚ましてくれます。

 

(金沢の工芸を、かの柳宗悦は

“貴族的工芸といい、民芸と区別しています。)

 

 

≪金沢流/自分の仕事について≫

「金沢ァ雨が降る。冬ァ雪が降る。

そしてその冬ァ長くて寒い。

だから、人と人とは身体寄り合うようにいきんなン。

大っぴらに大きいことはやれん。

小さい、目立たないことで

まじめに根気よくやれるもんンで、

漆器とか、友禅とか、象眼とか、

鮎の毛針みたいもンが発達した。

昔の人ァ、仕事を楽しんだと思う。

これが金沢の職人の心や。」

 

≪若い人の指導にあたっては≫

「あなたは、これをかいている時、

何か他のことを考えていたでしょう。」

 

≪若い人には“観る”ことを厳しく教えた≫

「草花は、1分もじっとしていません。

生き続け、動いていますから、

朝と夕方とではいっしょではありませんよ。」

 

≪職人として作家として≫

「職人だから、注文の品を作ってお金をもらう。

しかし、それだけではよい仕事ができない。

自分の作ったものが、よいか、悪いか、

展覧会で批評をうけなくてはダメなんだ。

 

≪時間をとられることを嫌い、来客には居留守を使ったらしい≫

いつも朝3時に起きても「わたしは仕事の虫。」

「日のたつのが早すぎる。」「もっと時間がほしい。」

これは、どうかとは思うけど

そして氏は、責任感からか、

一作品ごとに、”雨山”のサインを

染めこんだそうです。

 

また長くなってしまった・・・(笑)

 

今年20周年のタオのマスターとして

作家として何が出来るのか?を

問う貴重な考え方を金沢の気骨より学び取った。

 

 

 

 


参考文献:「金沢の気骨」

山出保著平成25年4月北国新聞社発行