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マシンガントーク

東京コレクション業界の流れ。

私が携わった経緯。

私はタオを始める前、デザイナーをしていた。

小学5からのファッションショーをするのが夢でした。

 

当時は、男子の友人とサッカーボールで

遊んだ思い出はなく

女子とマンガをを描き合い交換したり

洋服の好みや色の話などに盛り上がる

絵を描く事や裁縫をすることに夢中でした。

 

高校になると家政科に進学しました。

当時は、「滑り止めの滑り止め」のような

高校でしたので、家政学を真剣に学びたいという

有志たちの集まりではありませんでした。

 

しかし、世界トップクラスの縫製技術を持つ

工場を経営されていたり、元々洋裁学校から

高校へ転身した学校だったこともあったので

全国の高校生では味わうことのできない

レベルの高い教育を受けれたと思います。

デザイナーになるには縫製技術を磨かなければ!と

縫製工場への就職を考えました。

 

内定まで頂いていたのにも関わらず

自身初のデザイン画コンクールに出展する。

まさかの、その年のグランプリを取ってしまい一転。

 

 

 

 

 

「世界が俺を呼んでいる」というのが口癖。

 

 

 

 

自惚れ過ぎている私に声がかかる。

専門学校からの特待生を志願された。

 

更に自惚れが私を駆り立てた。

内定をお断りし、文部省公認の専門学校へ進む。

 

 

 

いや〜ここから波乱の連続。

 

 

 

専門学校と言っても、普通高校を卒業して

学びに来る生徒には

手縫いのボタン付けから教えるわけですよ。

私は自惚れていたものの

世界トップクラスの縫製工場の指導者たちに

高校生さながらの教育をミッチリ受けていましたので

トレンチコートからウェディングドレスレベルまで

簡単に縫えちゃうわけです。

そこで私は吠えました。

 

 

 

 

 

「俺は世界が呼んでいる」

 

 

 

 

 

クラスの半分ぐらいの生徒の作品を取り上げ

頼まれてもいないのに、仕上げてしまう。

見かねた担任の先生が私に伝える。

 

「柴尾君が出来るのは分かるけど、皆も勉強しに来ている」

 

 

 

 

話にならないので校長先生に志願する。

 

私の特別授業をしてください!

 

勿論、答えは「NO」だ!

 

 

 

 

こんなクソみたいな学校辞めてやる〜

大声で叫びました。

 

すると涼しい顔して校長先生が言いました。

 

 

 

 

 

 

ど〜ぞ!辞めてくださいな。

 

 

 

 

 

 

人を殺めることが罪にならないなら

こんな時に人を殺めるんだ!と

血の気の多い10代でした。(笑)

 

 

 

その後、担任の先生から提案されました。

 

 

 

 

あなたが考えているクソ学校を途中で中退したら

それこそ、クソ学校以下じゃない?

1年生の終了過程まで取得し

好きな学校へ編入しなさい!

 

 

 

 

 

愛が沁みました。

少しクールダウンさせ

残りの学生生活をしました。

 

 

卒業時に内定を頂いていた縫製工場へ就職しました。

その間に労働省公認の職業訓練校に編入しました。

そこの学校は4年間の学校でしたが

2年生に編入し、2年生の間に卒業までの

全ての課題を消化し、独立しました。

 

縫製会社の下請けの仕事ではありましたが

19歳のうちに独立しました。

毎日、点滴を打ちながら睡眠も取らず

仕事ばかりしていました。(笑)

 

バブル経済がハジけたばかりでしたので

まだ、不景気の風は鈍く

潤沢に経営をする事が出来ていました。

 

しかし、熱い気持ちを思い出します。

 

 

 

俺、デザイナーになるのが夢?

世界が俺を呼んでいるんじゃなかったっけ?

 

 

 

 

まだ、間に合うよな。世界基準(笑)

 

 

 

 

 

恩師のところへデザイナーになりたいと

相談に行く。

何度も面接するが中々採用なし。

そう簡単にはいかなかった。

 

そんな中、ビックネームから

1社内定をいただけたので

(今では和服を取り入れた洋服で有名)

デザイン事務所の先生の元へ

東京へ出発するのであります。

 

 

 

東京コレクションのアシスタントを

主にする仕事から入った。

 

 

 

 

東京コレクションは、プレタポルテブランドが

新作を発表する場として東京で年に2回開催される

ファッションショーのことです。世界四大コレクションの

次席に位置づけられているコレクションなのである。

1985年に日本の代表的なデザイナー32名によって創設された

CFD東京ファッションデザイナー協議会が中心となり発足した。

春と秋の2回、パリを皮切りにミラノ、ロンドン、ニューヨークで

世界的なコレクションが続けて開催され、

シーズンに先がけて新作が発表される。

 

 

4月と11月に開催される東京コレクションはその最後を締めくくる。

年2回のファッション・イベント全体を「コレクション」と

呼ぶのは日本だけであり、世界的には"Fashion week"と称する

 

 

 

下世話な話、モデルの全裸もヌードには見えない程

裏方は戦場でした。(笑)

 

 

 

そんな私が長く続かなかったのは、仕事がキツかった訳ではない。

若かったせいか?自分のデザインしたものを

先生が手直しして、自分の作品として発表されていることが

許せなかったのだ。

考え方によっては、自分の作品が世の中に出るのだから

本来は喜ばしいことなのに、それに気づいていないのが

若さが故の私の変なプライドでした。

 

一流のデザイナーのデッチより三流でもいい

自分のブランドを立ち上げたい。

そう思いました。

かっこつけていますが、早い話

挫折して熊本に帰ってきました。(笑)

 

今考えると、これも変な話ですが

22,23の若者の発想は、本当に視野が狭い。

転職しようが、夢叶わないだろうが

恥ずかしいことなんて全く無い

自分が決めて一生懸命に取り組んでいたのだから。

方向転換の一つなのに、

私は同級生の目を気にしていました。

 

あいつ、夢破れ熊本に帰ってきたらしいよ!

 

 

誰もそんなこと言わないのに。

(言っていても関係無いのに)

そればっかり気にしていました。

 

 

1997年、春。私は東京のデザイン事務所を辞め

熊本に帰ってきた。

今考えると未熟というか、勿体無いというか。

世の中の仕組みや状況を全く理解してなかった。

 

あの時に戻れるなら

もしくは、あの時の私に今の私が

アドバイスできるなら

伝えたい。

 

 

40歳まで実力をつけたら

東京コレクションの中心にいれるかもしれないよ!

 

 

でも、大人の自分に言い返すと思う。

 

将来(現在)の自分に誇りはありますか?

あなたが今も、情熱があるのなら

私は今を一生懸命にやるだけです。

 

将来、自分が一生懸命にやってきたという

誇りに思えるような生き方をやるだけです。

 

 

 

 

 

ありがとう。23歳君!

43歳は誇りに思ってるぞ!

 

 

デザイン画.JPG

 

 

 

 

次回は・・・

すごいプロジェクトが動き出します。

後半、東京コレクションから

スタンド熊本を立ち上げるまで

 

をお送り致します。

 

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