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2017年2月

がんばらない14講演チーズサミット

終わりが近づいているタオ新聞14弾。

大学受験時に講演活動をしまくっていた頃の話です。

 

最後にチーズサミットについてです。

 

 

「The beginning is essential」

<この作品は16年前に書かれたものです。>

 


2001年に何度と無く行われた

柴尾稔生氏の講演会活動。


中高生対象にどのような話が

繰り広げられたのか・・・。

ちょっと覗いてみよう。

講演者の紹介が一通り終わり、いざ、壇上へ。

 

その珍しい演者にある程度の

好奇心は学生の間で高まる。

そして第一声。

 

 

 


「こんにちは!!」

 

 

 


マイクを通して一際大きく

拡声された彼の声が響く。


が、返事はパラリ・・・

と物音程度に返ってきただけで、

後は呆然と座って見ているだけ。

一呼吸置いて更にボリュームを

上げてもう一度。

 

 

 

 

「こんにちは!!!!」

 

 

 

 


その勢いに触発されてか、

やっと蚊の鳴く様な日本語らしきものが返ってくる。

そこで間髪入れずにこう尋ねていたそうだ。

 

 

 

 

 

「皆さん!今からの日本はどうなると思いますか?!

・・・そこのあなた!」

 

 

 

 

 


大概は話を一方的に受け止めるだけの講演会。

指をさされた学生、硬直。

 

最後に質疑応答の時間が設けられるのが普通のことだが、

まさかイキナリそう来るとは思いもよらないのだ。

尋いたわりには答えを求めるわけではなく、

返事が無いのを確認すると

「次、そこの目が合ったあなた!」

 

 

 


目が合った覚えがチラリとでもある学生

・・・やはり硬直。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、そこのあなたは?

 

 

 

 

 


3人目くらいになると大抵。

答えは小さく返ってくる。

 

「・・・わかりません。」

 

 

 


恐らく、その質問に対してどう答えていいか

分からなかったから出てきた言葉だったと思うのだが、

それを逆手に取り、本講演中最大級の声が放たれるのだ。

 

 

 


そうです!!!!!

あなた達が言うようにこれからの

日本は分からないのです!」

 

 

 



・・・講演開始からここまで約40秒・・・

そこから話が続けられるであろう90分間は

その僅かの時間で決定される。

いわゆるツカミが大切ということだ。

 

実はこの講演会、学生対象に行われたものである

ことには間違いないのだが、

彼が誰に一番伝えたかった話なのかというと、

学生の横に座っている人たち。

 

つまり、学校の先生に対してだった。

勿論、そんなこと・・・

誰も気付くわけではないのだが。

講演会は演者が一方的に話し続けるのが

通常だと先に述べたが、

わざわざそんなものを聞きに

出掛けなくとも似たような状況に、

誰でも一度は遭遇しているはずだ。

学校の授業風景を想像していただきたい。

静かな教室の中で先生が教えなければ

いけないことを説明している。

 

それを質問もせずに聞いている学生達、

黒板に書かれた事をノートに写すだけ。

学ぼうとするその姿勢こそが大切な筈なのに、

それが学生の中に見られない。

 

授業を聞いて、定期試験の時に

点数を取れれば良い・・・と結構簡単に

思っている節があるのではないかと筆者は思う。

 

そしてその意識が先生達側にもあるのではないか

・・・とも思う。

 

普段の生活を行っていると、

大多数の人の前で話をする事というのは

滅多なことでは経験しない。

 

仕事をされている方々にとっては、会議の時、

何かのプロジェクトを発表する時・・・

発言を求められれば何かを言う機会はあるだろう。

 

が、大抵、慌てたり動揺してしまって

言いたいことの半分も

伝わらないのが普通、最悪の場合、

何が言いたいのかその要点さえも告げられないまま・・・

かもしれない。

 

結構・・・誰かに自分の本当に言いたいことを

伝えるのは難しい事だと、

店でマシンガントークを炸裂させている

彼も感じているらしい。

 

2001年の講演会活動を通し、

そして現役の大学生となった彼が改めて見つめた

 

「教育」


ただ一方的に物事を詰め込まれても、

そこに己が学ぼうという意欲・姿勢がないと

その本質は多分掴めない。

どうせしなければいけないなら、

嫌々するよりは自分で楽しんだ方が良いじゃない・・・

何とも気楽に筆者は話を聞きながら思っていた。

教育というものに何かのカタチで携わろうとする。

それは教える側であり、教えられる側であり。

その方法が違っても、結局行き

着く先は全て同じところ。

 

与えるだけ、与えられるだけの方法では、

互いに何も残らない事が多かろう。

 

何かを学びたい・・・

この、たった数文字で終ってしまう

簡単な心がけ一つ。

 

貴方の中で今までの『何か』が

変わるかも・・・知れない。

 

 

 

 

チーズサミット開催のお知らせ。

まず始めに!私がチーズ好きなことは知っているだろうか?

「好きな食べ物は?」という質問に対し「黄色い食べ物」

答えるようにしている。ビールは飲み物だけど、チーズ、卵、

とうもろこし、バナナ、柑橘系の果物だったりする。

特にチーズには目がない。

 

あまりのチーズ好きなあまり

C.P.Aコムラード・オブ・チーズ

資格まで取得するほどである。(笑)

 

資格取得者に定期的に案内がくる。

九州でチーズサミットが開催されるようだ!

しかも今回は熊本で解されるようです。

 

是非、チーズ好きな方には面白そうな内容でしたので

お知らせしておきます。締め切り間近です。

九州チーズサミット.jpg

詳しくは事務局にお尋ねくださいね。

 

 

 

 

がんばらない13後半107パーティー

「Back Stage of Cafe la Tao~part2~」

<この作品は16年前に書かれたものです。>

 


前回からカフェ ラ タオの歴史を追い、

裏話を綴ってきたが、今回はその後編。

Part2をお届けしたいと思う。

 


 「香り出しの豆を一粒浮かべております」

これは一体いつから始まったのであろうか?

実は、最初の最初、2人で屋台を始めた時からあったタオの名物だった。

まだ2人が某ホテルでフロント係をやっていた頃・・・。

とある日曜日の朝に起こった事件がキッカケだった。

売店&喫茶を担当していた柴尾さん、珈琲の注文が殺到し、

慌ててたのか手元が狂って珈琲豆をキッチンにばらまいてしまった。

暫くして、さて片付けようかとシンクに水を

貯め始めたその時に見たモノはプカプカ

と浮いている先程ぶちまけた豆の姿・・・。

「・・・豆って浮くんだ・・・。」

何を今更なことに気付いて、妙案が浮かんだ。

自分が入れた珈琲には豆を浮かべよう。

それ以来、ラウンジで出される柴尾さんの

入れた珈琲には珈琲豆が浮かべられるようになり、

一言が添えられるようになった。

「香り出しの豆を一粒浮かべております」

ゴミと勘違いして怪訝な顔をされない為の

言い訳とは・・・ここでは言うまい。


 「自家焙煎カフェ ラ タオ・・・始まり」

ここで一つ吃驚的新事実を発表したい。

今や山鹿店のトレードマーク、

山鹿店の顔となっている珈琲豆の焙煎機。

毎週毎週、豊前街道を珈琲の香りにしながら

豆を焼いている柴尾さんではあるが。

実はタオを始めた頃は焙煎の「ば」の字も知らなかった。

珈琲屋をやってるくせに焙煎を知らなかった男・柴尾稔生・・・。

が、やはり「焙煎」という言葉を聞くまで、

さして時間は掛からなかった。

興味があることには何でもチャレンジングスピリットを発揮

(しかもマッハの速度で)するのが柴尾さんの

柴尾さんたる由縁・・・。(?)

早速生豆を購入、100円の味噌こしらしきモノを

用いて豆を焼くこと何と1時間。

出来上がって目の前に現れたモノは

珈琲というにはあまりにも気の毒な物体Xだった。

試行錯誤を繰り返しているその時、

1人のお客様が田原坂公園へプラリとやってきた。

何でも大牟田在住の当時議員さんで、

喫茶店を経営し焙煎もしてらっしゃるとか。

話を聞いたその方、救いの手を差し伸べて下さったそうだ。

 

「一度、見に来ない?」

 

喜んで大牟田まで出かけていき、

そこで初めて大きな焙煎機なるモノを目にしたのである。

その方は基本的知識を教えて下さり、

柴尾さんは焙煎がなんたるものかを知ることが出来た

・・・その時・・・。ふと、思い出した顔があった。

確か湯布院に・・・

珈琲に詳しそうなオヤジがいたっけ・・・?

あの人に聞いてみりゃもっと色々教えてくれるだろう。

かる~~い気持ちで思い出したそのオヤジこそ・・・

日本で5本の指に入る巨匠・豊永氏だったのである・・・。


 

「自家焙煎カフェ ラ タオ・・・その後」

そもそも豊永氏、大分県湯布院の

カフェ『ボンボヤージュ』のマスターである。

何故その巨匠を思い出す事となったのか?

まだタオを始める少し前、田所さんと柴尾さんの

コンビは趣味がカメラという事もあり、阿蘇まで撮影に行った。

そろそろ帰ろうか・・・と一路下界(笑)へ。

が、どこを間違えたのか全く正反対の方向へと
車は勝手に進み、大分に入ってしまった。

「あらら、どうしましょ・・・

とりあえずここで珈琲でも飲んでゆっくり考えようか。」

入った店がボンボヤージュ。

 


結構良い雰囲気の店じゃないか・・・

出された珈琲を猫舌の柴尾さん、

放って置いて話を始めた。

まさかその様子を豊永氏が渋顔で

見ているとも知らずに・・・。すっかり冷めきり、

ようやく口を付けることが出来るぬるさに

なった珈琲をクイッと飲み干して・・・

 

おっ!割と美味い!!

 


お代わりを頼もうと声をかけた瞬間。

渋面頂点に達した豊永氏、一言。

 

 

「お前帰れ。」

 


猫舌という身体的特徴は仕方ないとしても、

折角のホットコーヒー、冷め切った状態で簡単に

飲み干されたんじゃそれでは氏が怒るのは無理もない。

しかし、その一言が柴尾さんの中で強烈な印象を残し・・・。

後々思い出し、焙煎を叩き込まれることとなる。

そして、現在の正式名称の頭にくっついている

「自家焙煎」という言葉が乗ることとなり、

日本初の「自家焙煎珈琲」の移動式カフェとなった。

厳しい巨匠の教えを受けて現在のタオで

出される珈琲、とっても美味しい。

 



 「営業行脚」

 


焙煎も習い、何とか出来上がった

タオのオリジナル珈琲数種。

細々と田原坂で売っても良いのではあるが、

折角なので色んな所で多くの人に自分達の珈琲を

飲んで欲しいと思うのは至極当然。

だったら営業だ!!!ここから柴尾さんの

熊本県下(主に植木町を中心に)営業の旅(?)が始まった。

目を付けたのは結構大きめのファミリーレストラン系。

・・・が。何故最初に考えなかったのだろう?

そういったところは既に大手の珈琲業者と契約済みで、

新手の名も知らぬ会社には見向きもしないこと。

完全に失恋(?)し、意気消沈・・・する柴尾さんではない。

飲食店が駄目なら他の職種だ!!

狙いを定めたのが有名自動車メーカー『トヨタ』。

で、そこでふと考えた事。

大手の車会社に若造が行っても相手にされないかも知れない・・・

何とか迫力付けて行かなければ。

数ヶ月後・・・体重が+10kgになり、

少なくとも姿だけは迫力ありそうな柴尾さんが完成していた。

その作戦が成功したのかは定かではないが、契約することは出来た。

計算外だったのは、お店に入る為にはその太った分の

体重を戻さなければいけないのを忘れていた事だけだった。

 
 

「タオ珈琲(山鹿店)オープン」


山鹿のほぼ中心、芝居小屋「八千代座」を

構える豊前街道の途中に、カフェ ラ タオで初めての

タイヤのない移動しないお店・・・

素直に言えば固定式店舗がオープンしたのは

2000年8月4日。

実は地元人に言わせれば長い間忘れられた古い街道沿い、

国から重要文化財に指定されてる割には

手を出されることの無かった芝居小屋のある場所。

その修復工事が行われている最中のことである。

大改修後、再オープンしたこの場所に

果たして人が集まってくれるだろうか?

大きな賭だった筈だ。

その賭・・・ものの見事に勝利したここ山鹿店。

筆者が一番・・・どころの騒ぎじゃない、

カウンターの椅子が尻に張り付いていても

おかしくないほど存在している場所で、

今までに強烈な印象を残したエピソードが2つある。

2つともカップルネタなのであるがそれは対照的なものだ。

1つめ。

漂うオーラをブラックホールに変えた喧嘩カップル。

どこの喫茶店でも一回や二回や二、三百回くらいは

遭遇するシーンかも知れないが、全24席しかなかった山鹿店。

会話は丸聞こえであった・・・。

一番中央の2番テーブルにて、

喧嘩が盛り上がるほど声が大きくなり、下手しなくとも

エキサイトしていくのが分かる。

最後は女性の方が怒って店を飛び出し、

男性は為す術無く座り込んだままの悲惨な状況の中で

柴尾さんに出来た最大の配慮は、

お釣りを用意することだけであった。

2つめ。

人生史上、5本の指に入るであろう決定的感動の

瞬間を見せつけてくれたプロポーズカップル。

多分、県外から来られたお客様だったのだろう。

小洒落た今時の店・・・ではなく、

通りがかりに見つけた静かなアジアンカフェでさり気なく・・・

良いじゃないですか!!・・・・・・と、

筆者が興奮してもしょうがないのであるが。

どちらにしても、こちらは滅多に見られる場面(モノ)ではない。

結局は大団円でまとまっていらっしゃったらしいのであるが・・・。

この2組のカップル・・・今でもどこかで

お元気にしてらっしゃるのだろうか?

出来ることなら、

幸せな毎日を送ってらっしゃる事を願いたい。


 

 

「唐突ですが、受験生になりました。」

青天の霹靂、寝耳に水。

山鹿店がオープンして一年と少し経った頃。

柴尾さん、何を考えたのか突然受験生宣言し、

猛勉強を始めてしまった。

人がやらないことをするのが趣味、

人を驚かせるのが楽しみということを人生の

モットーにしている(らしい)柴尾さんは、

いつも何かしらやらかしてくれて

見ていてとっても楽しいのである。

が・・・こりゃまた凄いことを・・・

否、無謀というか何というか・・・

コメントに困るようなことをおっ始めたな・・・

というのがその事を聞かされたとき

思った筆者の正直な感想であった。

多分、それに結構近い感情が他スタッフ、

お客様の中で去来したと思う。

そんな雰囲気を知ってか知らずか柴尾さん、

ガリ勉した。しまくった。

山鹿店のカウンターの隅っこで、

家庭教師の怖い先生に怒られながら・・・頑張った!!

年が明け、センター試験に突入。

何を考えたのか、センター試験なんぞ受けん!!!

と豪語しまくっていた柴尾さんであった。

結局・・・試験の日程を一日間違え、

前日に会場へダッシュし、すごすご帰る羽目になる

という大ボケをかましつつ、センター試験を受験。

そして何と今年の4月、多くの人の期待(?)を

見事裏切ってしまったのは・・・皆様もご存じの事実。

毎日、元気にバイクをぶっ飛ばして大学生をしておられる御様子・・・。

 

「何にもしてないように見えて実は、何でもしていた2001年」

受験期間中、店のシフトにも入らず、

ひたすら勉強していたかのように見えた柴尾さん。

んが、実は何でもしていたのである。

聞けば本当に勉強する暇があるのかと疑問に思えるほどに・・・。

その足跡は実質として残っている。

昨年立て続けにオープンしたチャレンジショップ

TAO VANCAME(久留米店)

Japonic Cafe 橙(植木店)と

T・A・O cafe(子飼店)、そして代理店。

おまけに、中学高校、その他色んな所で行っていた講演会活動。

挙げてみればキリがない。

他にも通常業務として珈琲豆の焙煎。

本当に勉強する暇があったのか?・・・

あったんだろう、現に合格しているから。

 
 「植木店、子飼店オープン裏話」


2001年10月31日オープンした植木店、

そして12月4日オープンした子飼店。

完全なる計画的なモノに見えるが、あんまりそうではない。

子飼店は計画の内に入っていた。

柴尾さんが目指していた大学は熊本大学。

子飼商店街は目と鼻の先だ。

子飼商店街に店を出した理由を当時、

柴尾さんはこう宣言していた。

「大学に近いし、直ぐにでも自分が行ける場所だから。」

・・・自分で自分の首をキュッと一捻りしてしまう発言。

本人曰く、これが大切だったらしい。

合格願掛け的存在。

これだけ宣言して失敗したらかなり格好悪い

・・・と筆者も思う。

格好悪くならなくて本当に良かったね

・・・それが正直な感想。そして植木店。

実はナイスなタイミングで物件が空いたそうだ。

田原坂公園に本店はあるものの、植木に拠点が欲しかった。

それだけなのである。

 
 

「タオメールマガジン」

これも昨年スタートしたモノ。

受験生になり、表舞台にこそ立たなくなった

柴尾さんだったが、それでも何とかお客様との

繋がりを消したくなかった・・・

だったらメールマガジンだ、

と案外簡単な動機だった。

基本的には週に一回、イベント出店等の

タオ情報が送られてくる。コンスタントに

メルマガ登録者は1400人を越え、好評らしい。
随時メンバーは募集しているので、

各店舗、HPにてお問い合わせ願いたい。

 
 「願いが叶うのなら・・・」

今、柴尾さんには、

幾ら望んでも絶対に叶わないことだが、

それでも会いたい・・・

もう一度だけ会いたいと思う人がいる。

柴尾さんが受験生だった頃、
ずっと家庭教師をして下さった先生。

先生は、勉強は勿論だが、

本当に広く沢山の事を知ってらっしゃって、

どちらかと言えば勉強の事より、柴尾さんには

そちらの方を熱心に聞かせてくれた。

その中でも一番印象に残っている話を取り上げてみたい。

新聞第1号で取り上げた「文化」について。

先生はフグを例に話をしてくれたそうだ。

昔々、釣りをしていた人がいた。

初めて見るトゲだらけの魚を食べ、美味いと思ったが

毒に当たって死んでしまった。

それを見ていた人がまた同じ事を繰り返し、

延々と続いていく内に死人が出なくなった。

これが「文化」だ!!!

・・・と、先生は断言された。

最初聞いたとき、柴尾さんに頭は

【?】マークだらけであったそうだ。

何が文化?どこをどうやったら文化??

What's???

しかし、日が経つにつれてその話の本当の意味が分かってきた。

成る程・・・と。

その先生は柴尾さんにこうも仰ったそうだ。

「君の発言を世に提言する為に

新聞を作ってみないか?」


これで殆どの方がお気付きだろうが、

その先生の一言が柴尾さんを動かした。

ついでに筆者である私も動くことになった。

しかし。

柴尾さんの勉強が佳境に入る頃に病気を

されて入退院を繰り返されていた先生。

「がんばらない」の完成を見ることもなく

お亡くなりになってしまった。

出来ることなら・・・

第1号だけでも見て頂きたかった。

何か言葉を頂いて、もっと色んな話を聞いてみたかった。

今まで夢を実現させてきた柴尾さんが願う、

絶対に叶う事はない望み。

そして出来ることなら私もお会いしてみたかった。


だけどもし会えるのなら。

これだけは伝えたい。

「先生発案の新聞、今も続いています。」

屋台からスタートし、移動式の車へ、

そして固定の店舗、夢を託す代理店の展開。

突っ走り、頑張り過ぎて倒れたりもした。

様々なお客様、スタッフとの出会い。

苦労したことも、楽しかったことも・・・

前回から2回に渡ってお送りした

笑い話中心の出来事も。

今となっては良い思い出。

まだまだヨモヤマ話は増えていく。

彼らが存在していく限り・・・は。

 

 

 

 

第107回は、10周年のアニバーサリーです。

先日は106回目のタオパーティーにご参加頂きました

お客様ありがとうございました。

106.jpg

<写真は106回の様子>

 

次回はとうとうタオパーティー10周年を迎えます。

107回は参加できる定員を増やしまして

大いに盛り上がる会にしようと

試みております。検討されている方々

お早めのエントリーお願い致しますね!

詳しくは「こちら」まで


 

がんばらない12前半新人紹介。

タオ新聞第12弾はタオの歴史初期の珍場面(笑)

たくさんある歴史の中で当時、選ばれた内容です。

 

最後に新人さんの紹介です。

 

 

 

「Back Stage of Cafe la Tao~part1」

<この作品は16年前に書かれたものです。>



1997年11月27日 カフェ ラ タオ開店。

それから5年・・・。

5年もあれば色々なことがある。

今回は、タオの歴史を追いながら、

それに纏わる話を綴っていきたい。



喫茶店をするのが夢なんです!

 

田所さんがある日ポツンと呟いた。

 

「将来は喫茶店をするのが夢」

 

それに呟いた本人じゃないにも関わらず

大乗り気になったのが柴尾さんであった。



3週間後、田所さんに内緒で全財産はたき、

屋台を作り上げてしまった。

・・・その行動力、どこからふって沸くかは

未知なるところではあるが・・・。

 

そんなこんなで1997年11月27日。

田原坂公園の駐車場にて第一回目の

試行錯誤が始まったのである・・・。

 

 

 

 


阿蘇のてっぺんでガス爆発

暫くして第二回目。

 

「・・・今度は人の多いところに行ってみよっか?」

 

熊本県内で人がいつでも多いところ=観光スポット・・・

あるではないか、熊本県民にとってはただの

でっかいお山であるが、世界一のカルデラ、阿蘇。

そこに行ってみよう・・・というわけで営業開始。

 

その時、事件は起こった!!!

たまたま柴尾さんがその場を離れ、

お客さんと話をしている隙に

下から吹き上げる風に煽られ、

ガスボンベのホースに引火!!

 

一瞬のうちにコンロに引火!!!

 

ぼすっ・・・・・・・・。

 



ガス爆発!!!!!

 

 



驚いて為す術もなく田所さんの助けを

求める悲鳴のような叫び声が

阿蘇いっぱいに木霊した。

柴尾さんが振り向くと、屋台が・・・

屋台が火事だぁああ!!!

燃えるな全財産!!



ジェットスピードで駆け戻り、

火の中に手を突っ込んでガスの元栓をしめると、

必然的に火の手は収まった。

 

ああ良かった・・・

 

とりあえず守った全財産(笑)

 

ほっと一息・・・も束の間、

柴尾さんの姿を見た田所さんの

悲鳴第2弾が響き渡ることになる。

眉毛無くなり、睫も無くなり、オマケに前髪も

仲良く無くなった見るも無惨な姿がそこにあった・・・。

 

 



「もう、帰ろう!私の夢なんてどうでもいいから・・・。」



あまりのことに号泣する田所さんを一喝。

 

「今帰ってどうする、待っててもお客さんは来ない!

呼びに行っておいで!!」

 

泣く泣く田所さんは客引きに、

火傷でズンズクする頭のまま、

柴尾さんは珈琲を作り・・・。



これが、

後々「1番」

呼ばれる接客のはしりとなった。

 

余談ではあるが、暫く柴尾さんが帽子と

親友だったのは言うまでもない。




柴所珈琲?田尾珈琲?

2人が屋台を始めた頃、

この店の名前は柴所珈琲だったこと、

ご存じだろうか?

互いの名前を一文字ずつ頂いて、柴所。

 

あまりナイスではないこのネーミング、

考えたのは勿論(?)柴尾さん。

田所さんにとってこの名前ハッキリ

言って好ましいモノではなかった。

 

あんまり嫌がったので、じゃぁ・・・

と言うことで田尾珈琲に変更。



・・・実は田所さん、この名前もあまり

ナイスとは感じていなかったらしい。

 

が、もう譲れない。

 

柴尾さんの洗脳作戦開始。

 

睡眠学習の如く、延々と

タオ珈琲タオ珈琲と言い続け・・・。

 

何とかこれに馴染んでもらうこととなった。

 

が、そのままモロ日本語でタオ珈琲では

あんまりだという意見もあり、ではフランス語で

 

「カフェ ラ タオ」

 

カフェ ラ タオの始まりである。

結局・・・タオ珈琲という名称、

後に山鹿店の屋号となった。

 

 

ちなみに。

 

タオというのは日本語に直せば「峠」・・・

峠の茶屋的存在になりたいというこじつけもある。

 

もっとちなみに。

 

中国語では「道」と書いて

タオと読ませるらしい。




田原坂の珈琲屋のマスター話を

聞きに行こうツアー

昼下がり・・・

貸し切りバスが一台、

田原坂公園の駐車場で停まった。

降りてきたのはオバサマ's。

 

団体様が一直線に向かってきたのは

観光地方面ではなくタオ号であった。

 

何と目的は柴尾さんが炸裂する

マシンガントークだったのだ。

タイミング悪く別の場所へと

向かっていた柴尾さん、

田所さんの電話で特急で田原坂へ・・・。

待っていたのはズラリと座って待ち

かまえている御一行様。

仰天したのは無理もない。

 

その頃、日曜 朝の九州ローカル番組に出演していた。

それを見てわざわざ田原坂まで

バスツアーを組んでやってきたのだ。

急かされるままにいつものトークをする・・・

が・・・反応・・・無し。

ウケてないし・・・!!!(滝汗)

 

内心冷や汗タラタラで沈黙の中トークは進み・・・。

持てるネタを出し尽くして20分後・・・

 

 

 

「これにてお話を終わらせていただきます、

ありがとうございました。」

 

 

 

 

 



し~~~~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

ぱち・・・

 

 

 

ぱちぱちぱちぱち!!!!!!
 

 

一瞬遅れて拍手喝采。

 

 

 

 



この団体様、もちろん珈琲を飲み、

話が終わった後は珈琲豆を購入し。

 

「この後は熊本城とか観光地をまわられるんですか?」

 

にこやかに尋ねた柴尾さん。

返答は簡潔且つ単純だった。

 

 

 

 

「いえ、もう帰ります。」

 

どこからのお客様なのかを尋ねて更にビックリ。

 

何と鹿児島からわざわざ熊本まで

これだけのために!!!!

いらっしゃったのだ。

 

呆気にとられている内に

そのオバサマ方は帰って行かれた。

その時、一つだけ後悔したのは、

生憎カメラを持っていなかった為、

そのバスに掲げられたツアー名を

撮り損ねたことだった・・・。


長々と書いてきたが、

実は他にも面白い話は沢山ある。

しかし、それをいっぺんに

やってしまうにはあまりにも惜しい。

それに、スペースも全く足りない。

それで、「Part 1」ということで

今回はこれにて打ち止め・・・

またいずれかの機会にて。

・・・お後がヨロシイようで。

 

 

 

 

 

 

仲間が増えました。

1年ぶりに新人が誕生致します。

ご紹介します。上野 未鈴さんです。

(植木本店所属)

上野 未鈴.jpg

 

高校卒業が決まり、4月から晴れて大学生になられます。

日頃、短期アルバイトを採用しないタオですが

即、採用を決めさせて頂きました。

うぅ〜可愛い(笑)

衝撃なのは、「お母様」マスターと同じ年齢。

ついにスタッフよりお母様と

同じ年の人を採用する時が来たか〜!

採用者数350名以上のタオグループの新しい風。

是非、応援よろしくです。

 

 

がんばらない11教育IIAC

タオ新聞11号は「教育」をテーマにしております。

23歳からタオを起業し、翌年24歳の時には

自分の中で目標やテーマが決まっていました。

それが「教育」。

人が人を育てる。環境で育てる。

 

 

 

「Histria ~語り継ぐ者~」

<この作品は、16年前に書かれたものです。>

 


過去に一連の教育を受けてきた人、

今まさに教育課程真っ直中の人。

これを読んで下さってる

お客様は十人十色、様々であろう。

 

さて、ちょっと思い出してもらいたい、

学生時代。何を習っただろう?

 

文法や数式やそんなことを

丸暗記してテストに備えたり・・・

とにかく頭の中に詰め込めるだけ詰め込んで。

それが今の日本で主流となっている教育体制である。

昨年一年間、柴尾稔生氏は大学受験を宣言し、

表立っての活動はあまり行わなかった・・・

かのように見えた。

 

しかし、実は色々と動いていたのである。

2001年といえば、久留米でのチャレンジショップ、

植木店、子飼店のオープンが続き、

代理店展開等のプロデュース業・・・

因みにこの「がんばらない」もスタートした。

 

その他にも、中学高校に招かれて

講演会活動も行われていたのだ。

講演会といえば・・・。

ある程度の年を重ねたその筋では有名な方々を招き、

その方の人生経験を元にして

前途洋々たる青少年諸君に語りかけ、

将来設計についての有り難い忠告をして

下さるものという認識が

一般的のように筆者は思う。

それがまた、なぜ彼なのか・・・?

恐らくではあるが、事業を始め、

それをある程度成功と言われるところまで来ている

彼が何かを語ることによって、

より近い年代の学生達に対し何らかの説得力を

持たせることを先生達は期待していたのだろう。

 

体育館に集合させられて最初から退屈しきった・・・

が、いつものとは少し雰囲気の違う講演者に

興味を持ちつつ、座ってる学生に

向かって彼が語ったのは・・・夢。

 

 

 

夢は必ず叶う。

 

 

 

逆に叶わない夢は想像の域でしかない。

 

ではその実現方法とは?

実現させようと思うその最終的な

時間を予め設定しておく。

そしてそれを達成するには今ここから

何をすべきか逆算していくのだそうだ。

筆者からすれば無謀とも言えるやり方で、

カフェ ラ タオもここまで成長を遂げ、

昨年の講演会活動の中、各会場で宣言して廻った通り、

彼は本当に大学に合格してしまった。

ただ、間違えないでほしい。

これはただの手段であって、

無限の方向性と可能性があるということ。

 

そして夢の実現、それはとても

大切なことかもしれないが、

それが一番ではないことを。

本当に一番大切なのは・・・。

 

目的に対して取り組んだ自分の

努力の大小が何より掛け替えのないもの。

結果は満足出来るものにならなかったとしても、

それにどれだけ真剣になったか。

それこそが何よりの財産になるだろう。

 

人は生まれる時、目を閉じている。

 

そしてそのまま歩き始める。・・・

と、彼は言った。

それから歩き始める時期も

歩く速度もその人それぞれだが、

遅かれ早かれ壁にぶつかることになるだろう。

 

当たり前だが、目を閉じたまま

歩いていきなり壁(障害物)に

ぶつかるのは嫌だし何より怖い。

 

だったら目を開けば良いじゃないか。

 

みんな目を閉じたまま歩きがちな人生だが、

実は勇気を出して目を開くと・・・。

八方塞がってると思っていた状況だと

思っていたその場所は、『チャンス』という名の

物質で出来た空間だったりしている。



 「目を開く努力をしてみたら?」

 

夢を追いかけようとしてる、

もしくは夢を追いかけてる最中の若者に

告げたかった彼の言葉。

その為の『勉強』だったり、

『なすべき事』だったり・・・と。

彼自身がそうしてきたからこそ、語れる話。

 

ただの自慢話ではなく、

自分でやってきた事に対する

自信と経験に基づいたものだ。

別にこんな話、わざわざ誰かに提供する

必要ははっきり言って無いのかもしれない。

独り占めしたって構わないだろう。

が、敢えてそれを伝えていくのが『教育』では

ないだろうか?と彼自身は考えている。

自分達が追っていた夢を押しつけるわけではなく、

自分達が身につけた技術や知恵を語り継いでいく。

 

自信を持った生き様を見てもらったり、

聞いてもらったりしながら強制的に

叩き込まれるわけではなく気付いてもらう。

それが、後輩達の一番大切な所に忘れ難い想いとなって、

長くて短い人生を紡ぐのに役に立つと

彼の話を聞いて筆者は感じた。

大学受験を思い立ち実行したことによって彼も、

今まで語ってきた6つのキーワードは「教育」

というものを中心に成り立つものと気付いた。



夢を持っていますか?



夢を持っていましたか?



自分の中で光る可能性を現実のものに

しようと思うのなら・・・

動き出しませんか?今すぐ。

 

それが無理だと考えるのなら。

 

あなたがここに存在したという証(あかし)を

「語り継ぐ者」として、残してみませんか?

 

 

IIACマスタープロフェッシャルの称号。

先日、受験したIIAC国際カフェティスティング協会での

モジュール4の合格により1〜5の全てのライセンスが

揃ったマスタープロフェッシャルの称号を

頂く事が出来ました。世界では108名が誕生したと

業界誌に紹介されました。この資格は、アメリカや

オーストラリア、ヨーロッパはイタリアを中心に

様々な国で資格保有者がいる。最近ではアジアの

発展が目まぐるしく、日本人の取得者は22名。

その中に私の名前も仲間入りしたという事です。

 

IIAC.jpg

 

でもね〜1,2,3の時は日本人最初のモジュール3の

取得権限も頂き、最高峰の5も慌てて取得したのに

4だけ胡座をかいていた。けしからんな〜(笑)

 

でも、毎回思う。学べる環境がある事の喜びを。

会社を経営していると、誰かから指導を受ける環境が

少なくなる。むしろ教育をする側に立ち

若きバリスタの教育をしていく。

世界基準の資格所得は、自分に大きな可能性を

与えてくれた切っ掛けとなりました。

 

タオカフェ.jpg

 

これからも美味しいコーヒー作りを頑張ります。


 

がんばらない⑩環境お城マラソン

ついに終わりが見えてきましたタオ新聞。

 

今日は熊本城マラソンでした。

 

なんとか完走はできたものの

練習不足だったことが、心残りです。

来年チャレンジするかは、今後の体調を見て

決めていきたいと思います。

まずはゆっくりさせて頂きます。

 

 

 

 

「The Earth is in Pain」

<この作品は16年前に書かれたものです>

 

 

朝も早い時間に、出勤、通学、散歩・・・

とにかく外を出歩いてみると、

こういうシーンに出会すことはないだろうか?



自転車に乗ったり、歩いたりしながら、

ホームレスの方々が大きな透明袋に空き缶を集めている姿。

熊本ではあまり見かけないかもしれない。

が、都会の様子がテレビなどに映し出される時に、

ゴミ袋片手に空き缶集めをしてる人たちがいる。



別に、その辺の道端で暮らして、

世間の皆様に迷惑をかけているからその恩返しの

つもりでボランティアをしているわけではない。



彼らが集めているのは空き缶は空き缶でもアルミ缶のみ。

大量に集めて業者に持っていくとお金を貰えるのだ。



最近では、分別が主流になりつつあり、

指定されたゴミ出し日には各家庭で分別されたゴミを出し、

各市町村の業者が持っていく。



彼らは場所ごとの収集時間を予め把握し、

先回りしてアルミ缶のみを持っていき、

そして道端にポイ捨てされているものや、

ゴミ箱に捨ててあるものを集めていく。

 

 

 

 

 


京都議定書

 

 

 

 


1992年に開催された地球サミットにおいて

「気候変動に関する国際連合枠組み条約」を締約した国による、

その実施項目を決めるための第3回締約国会議(COP3)が

京都で行われ、そこで採択されたものである。

内容は、2008年から2012年までに1990年を基準にして

温室効果ガス6種類の排出を削減すること。

 

 

 

・・・それだけなのであるが、

1998年 COP4にて柔軟性措置(京都メカニズム)を

択したところで知っての通り、某大国がそれに対する

納得できない旨を列挙し2001年3月突然議定書からの

離脱を表明、日本がその説得で右往左往し、

世界中から総スカン、それでも何とか2002年の

発行に向けて2001年11月 再開COP6にて主要部分は

合意されたところである。それに併せて、

我が国も独自に地球温暖化対策推進大網を

打ち出し、実行に向けて動き始めた。



経済効果を上げるためには、最先端技術を用い、

多量の公害物質を排出しないとやっていけないのが

今の世界的視点で見た現状。恐らく、

某大国にしてみれば、憧れの未来都市に

近いところから、いきなり日本で言うところの

江戸時代にまで生活レベルを下げろと

言われているのと同じように聞こえるのだろう。

それは極端な意見であり、そういうことになる

ことはまず無いであろうが。前回、経済について

触れたが、いわゆる環境破壊と言われている

影には、今まで驚異的スピードで遂げてきた

高度経済成長が深く関わっている。



元来、人間とは怠け者の生物であるから、

楽に生きよう、こうなったら便利というものを目指し、

簡単に飛びつく。一番良い例が地球上の何処へ

行っても走ってる自動車。地球の奥深くから引き出した

エネルギーを用い、歩かずとも好きなところへ

早く辿り着ける画期的発明品。下手すれば、歩いていった方が

早い所でも車を利用したりする。その時に温室効果ガスの

代表であるCO2が大量に排出される。だからと言って、

地球が危ないから車の使用を禁ずる・・・

などという法律が出来たとして。それは無理な相談だ。



そこで考え出されたのが環境税。

使用の規制はせず、その代わり車を動かす為に

必要不可欠なガソリンに高い税金をかけ、

それからまた環境に関する優しい事をやろうという考えだ。

 


しかし。



いかに経済的に進んだ大国達が排出削減したところで、

地球全体的に見ればそこまで

影響があるわけではないのだそうだ。

今、頑張っている発展途上国をどうするか?

今まで大国がさんざんやってきた事を地球に

悪いからと言って、いきなり抑制されても

何の説得力もないばかりか、眉を顰められるだけ。

それならば、ただがむしゃらに環境改善を

一部だけで行うわけではなく、各国が保持している

省エネ技術を惜しみなく提供して、

全体的に中間点へと持っていく方がより、

温室効果ガスを削減する近道になると思う。



では最後に環境について・・・。



本来、環境なんてものは勉強する必要など無かった。

人間が汚してしまったから、それをどうするかと

言う事で勉強しているのが現在。

このまま地球と共にこのまま自滅するか、

ここでくい止める努力を始めるか・・・。

その狭間にいる。」


あまりにも世界規模で語られすぎて、

一般ピープルには関係ないという顔をしている

気がする環境問題。が、それは違う。



一番大切なのは、実際に生きている日常生活。

冒頭に書いた通り、朝早くから夕方遅くまで

見返りの為とは言え、アルミ缶を拾って回りながら

頑張ってるホームレスの人たちが居る。



そういうことを・・・あなたは、どう感じますか?

 

 

 

 

 

熊本城マラソン。

今回、3回目の熊本城マラソン。

ホノルルを入れたら4回目となる。

言い訳にはなるが、今までの3回は

キッチリ練習をしてきた。

 

今回は惨敗だ。

 

なんとか完走できたのが奇跡なぐらいだ。

 

今までの経験上30kmの壁というものは実感は

していたものの、今回は18km地点で既に体が

悲鳴をあげていた。これはまずい。

第8関門では、残り30秒で閉鎖のところまで

追い込まれた。完走したい一心で、頑張りました。

まぁなんとも情けない。

 

今年は応援してくれる会いたい人に

一通りあえてよかった。

 

木村社長、よしえちゃん、妻まま、タカシャン、

萩山さん、村田夫妻、行きで会えなかった碧ちゃん。

SNSやメール、LINE等で応援してくれた皆様

この場を借りて、応援ありがとうございました。

 

熊本城マラソン完走.jpg

 

電話で、家族に完走伝えると

次男が「完走おめでとう」と言ってくれた。

体が痛く、横になっていたものの

久々に家族4人で会話をした。

家族っていいものだと改めて実感した。

 

がんばらない⑨経済ゼッケン

いや〜まぁ勝手なことを言ってますな〜若者の俺。

全15話ある今回は9話目、今の考えと

一番大きく変わった章でもあります。

まぁ若気の至りということでご勘弁を。

 

いよいよ、明日に控えたマラソン大会。

 

 

 



「柴尾稔生的 『経済のススメ』」



1つのことを深く追求する為には、

それだけを1つの視点で片側からだけ

考えるのは危険である。

本当に学びたいと思えば、

そのことを取り巻く様々な部分を

少なくとも2つ以上、

学ばなければいけない。


例えば、「環境」1つにしても色々な視点がある。

経済、化(科)学、普段の生活に於いて

・・・そして。

今回はその1つである「経済」について。



平成大不況。



そう呼ばれ始めて何年になるだろう?

経済バブルが弾けて大不景気へ突入した。

彼曰く、

 

「不景気、不景気と言われているが、

ある意味そうであるが、ある意味

そうではないと言えないだろうか?」

 

と投げかける。



「本当に不況なら、

本当にどこも何も売れない。」



極論を言うと、彼がもし・・・

この国を動かすことが許された立場ならば。

この状態を如何にして改善するだろう。



「実は経済学者、政治家の皆さん、

その他の博識経験者の方々も、

やり方は分かっている。」

 

彼はそう言い放った。

じゃぁ何故やり方を知っているのに

実行へと移さずにいるのだろうか。



「答えはとてもシンプル。そのやり方をするには

相当の数の人から反感を買い、完全に悪者

扱いされることになるだろうから。だから、その他の

やり方を模索し、試している状態。」

 

しかし・・・。

本当はもう他に方法はないところまで

追い詰められているのだ。

そして、その究極の方法とは?



「儲かっていない会社を潰すだけ。」



今や言葉だけは小学生でも聞いたことのある

 

デフレ・スパイラル。



経済バブルが弾けて国が不景気を発表するのと

同時に、大きな会社の株を持った人々が一斉に

株価が暴落する前にと売り始める。当たり前だが

そうなると、資金提供者が激減し、全ての金を

会社自信が負担することとなる。=(イコール)

会社は必然的に貧乏となり、手っ取り早く従業員の

給与を減少させる。先立つモノがないから買い物にも

行かなくなり、他の業種にもその不況の波は

襲いかかると・・・という風に、

連鎖反応を起こしながらグルグルと

その不況が悪循環を始める・・・

それがいわゆるデフレ・スパイラルだ。

勿論の事だが、これは言葉そのままの

意味に取ってはいけない。よく考えてみる。

今、経営破綻と言われて次々と

倒産している大会社。

 

全部とまではいかないにしても果たして

健全なる経営をしていた会社なのだろうか?

吸収、合併を繰り返して

どうにか持ちこたえている所はある。

彼は、一生懸命努力して胸を張って

何かを供給できるところ・・・

つまり「本物」を残していけばいい。

そう言っているのだ。

 

残して欲しいなら会社だって努力し始めるだろう。

 

色々属している従業員だって何かを始めるだろう。

 

もし、いきなりリストラされてしまっても、

自分だけは生き残ってやる、

その為に何をすべきかを考え始めるだろう。

または、リストラされても自分は

いつでもどこでもどんなところにだって行ける為に、

自分の出来ることを増やし始めるだろう。

 

今まではただ、会社の一部、

いわゆる小さな歯車として、

何となくいつもの仕事をこなし、

己の存在理由を失っていた。

それではもう、今からの時代を

生き残ることが出来ない。

 

自分の中で確固たる存在理由の為の技術と

フットワークの軽さ、

オールマイティーさが物を言う。

何に対してもそうだが、自分だけの

利益を考えていたのでは自滅する。

会社も利益だけを考えていたのでは破滅するだけ。

 

国全体が金持ちになるのに、

今まではどうしても最先端技術を開発し、

使用する必要があった。

 

前回の話と重なるかも知れないが、

そうしてきた代償として公害問題が浮上している。

 

このままでは、最先端技術を使って人間が

指一つで何でも動かすことの

出来る未来都市が完成する前に、

多分地球そのものが汚染し尽くされて、

人間が住める場所が無くなってしまうだろう。

 

これでは本末転倒だ。

 

全てが共存するために。

 

それを考えるために話は次回と続く。

 

to be continude・・・

 

 

 

 

ゼッケンを貰いに行きました。

 

受付、ゼッケンと記念Tシャツをもらいに

熊本市辛島公園特別会場へ行きました。

熊本市は明日の熊本城マラソン一色ですね〜

ワクワクしてきました。

熊本城マラソン.jpg

 

目標タイム屋さんが沢山ありました。

今年は「えがおブース」「トヨタブース」「第一生命ブース」

熊本城マラソン.jpg

と欲張りすぎの3ブース(笑)

折り返し地点の目標を告知してきました。

完走できるかな〜???

がんばらない⑧不作為の罪/竹灯り

タオ新聞第8弾の後は、

山鹿の美しい風景をご覧ください。



「Save your Soul ~時代を暴け~」

<16年前に書かれたものです。>

 

 


「教訓生かせぬ甘い危機管理」


私は、水俣での環境学習に関する記事を読む度に、

水俣病の2つの教訓を思い起こす。

1つは、言うまでもなく「環境保全の水俣市が市民ぐるみで

取り組む活動はこの教訓を生かしたものである。

もう1つの教訓は、一度(ひとたび)問題が起きてしまった時に、

被害が拡散しないように原因企業と行政に迅速かつ誠実な

対応を求める「危機管理の大切さ」である。

残念ながら、この第2の教訓は現代社会において

殆ど生かされていない。

古くはサリドマイド事件から薬害ヤコブ病や薬害エイズ、

そして最近のBSE(狂牛病)問題まで、危険性が認知されて

いたにも関わらず、行政と関連業者の不作為にて

被害が拡大した例は少なくない。人間は元より完ペキではない。

どんなに注意し予防しても常に過ちを犯す危険性がある。

従って、安全な社会の為には、責任追及よりも被害の

拡散防止を優先する危機管理体制の確立が不可欠である。

私は、水俣に関心を持つ人々が協力して、

企業や行政のために危機管理マニュアルを作成

できないだろうかと考えることがある。

いつの日か、水俣と言えば誰もが危機管理の

大切さを思い起こす、

そんな時代が来ることを願ってやまない。
 

 



「不作為の罪」



大学の講義中に初めてこの言葉を耳にし、

当時よく意味が分かっていなかったにも関わらず、

身体に電流が走っていく・・・

何とも形容しがたい背中に

冷たいものが伝い落ちていく様な・・・

そんな衝撃を受けたのだそうだ。

これは法律用語であり、

一見難しそうな言葉に思われる。

が、意味自体は至極当たり前なもの、

口には出さずとも誰もが分かっていること。

「なすべき事をわざとしないこと 

人が敢えてなすべき行為を積極的に行わないこと」

である。

今まで発行してきた「がんばらない」でも

再三再四、言葉は違えど

言ってきたことではあるが、

共通している問題提起は全て

この「不作為の罪」から成り立つことばかりだ。

事なかれ主義を地で行く日本の体制を、

世界各国から呆れた目で見られていることは、

既にマスメディアの報道等で皆様感じて

いらっしゃることであろう。

ことが起きてしまってからでは遅い、

そしていろんな被害が拡大し、隠せない状況まできてしま

ったら既に遅すぎるのだ。何故隠す?

地位や名誉や自分の信用と

立場は確かにとても大切なものだ。

特に信用なるものは一度無くしてしまったら、

取り戻すのに何十倍、いや何百倍の時間が

掛かるのは周知のことであろう。

が、それにしがみつき、

それだけを守ろうとしたごく一部の人々の行為の結果が、

今まで大問題となり、ヒトの人権を冒されてしまう

可能性を秘めた被害にまで発展しているのである。

知らないふりというのはとても楽なことだ。

一番簡単な責任逃れであるのだから。

だが・・・。

逃げないでほしい。

犯してしまった罪は永遠に消えることはなく、

時間の巻き戻しはきかない。

では、どう償うべきか?

これからどうしていくか?

同じ過ちを何度も繰り返さない為に。

完璧な人間はどこにもいない、

と彼は述べている。

しかしながら、

罪を償うことを許されているのは人間だけだ。

猶予を与えてもらえるのは私達、

「生きている」人間だけ。

与えられたものは有効に活用した方が賢い。

ただ、そのことを気付いている者達が

あまりにも少なすぎるような

気はするのだが・・・。

自分を守れるのは自分自身。

散乱され、氾濫し、嘘か真(まこと)か

分からない膨大な量の情報の中から

自分の頭で考えた結論で選択したものが

・・・真実(ほんもの)。


どうだったかどうかは・・・

例え間違いだったとしても

それは後悔することはないだろう。

少なくとも自分自身の中では。

今の腐敗しかけた時代を変えていくのはおそらく、

今現在に「若者」という種類に分類された者達。

どうする?

どうしたらいい?己で考えよ。

我が肌で感じ、目と耳で確かめ、

そして生まれたものこそ真実なのだから。

ぬるま湯の中で安穏と

暮らしていく必要性など無い。



「地球とは、我らの先祖から受け継ぎ、

後世へ引き継いでいくものではない。

未来の者達から借り受け、そして返すものだ。」



そういう言い伝えを残している民族がある。

もし、我ら、今生きている人間達に

少しでもその気があり、そうしたいと

望むのであれば・・・。

それはきっと自分の幸せの為にも

なりえるであろう。

あなたには守れるもの、

守りたいものがありますか?

 

 

 

山鹿の盛り上がり方が半端ない。

今年、行かれた方は分かるだろう。

今までも凄かったけど、さらに進化している。

豊前街道.jpg

 

坂を登ると徐々に竹灯り。

 

 

豊前街道.jpg

 

しびれますな〜この光。

 

 

八千代座前.jpg

 

 

もちろん、帰りはタオ珈琲〜山鹿店〜にて

くつろぎのひとときを!

 

タオ珈琲.jpg

 

皆様のお越しをお待ちしております。


 

がんばらない⑦6つのキーワード

美味しい珈琲を!

熊本で普通の喫茶店を

開いておけばいいのに。

こんな新聞を書いていた。

 

批判する人と

 

応援する日人がいました。

 

 

 

 



「Age of Zero!」

<今から16年前に書かれたものです。>

 



日本史上類を見ない閉鎖的な時代が幕を閉じ、

混乱と期待の中で西暦1868年、

明治の世が明けた。

今、この世界で暮らしていけるのは、

その瞬間が存在したから。

あれは一つの大きな分岐点だったのだ。



大きな分岐点の中にある僅かの時間に、

今後を決定づけるような

出来事が駆け抜けている。

西暦1877年、行く先を左か右か決めた

『西南の役』が代表的なものだろう。

そして戦いに於いて、激戦区だったのが

熊本県植木町に今尚生々しい

傷を残した田原坂である。

言わずと知れたカフェ ラ タオが

産声を上げる為に選んだ場所

・・・である。

 

それから4年を過ぎた今、

創始者の一人である

マスター 柴尾稔生が

考えていることは計り知れない。

 



『彼』という人間を形成するにあたり、

6つのキーワードが存在する。

 

・人権

・環境

・教育

・福祉

・経済

・文化


 

 

 



前6回のこの新聞で、その中の3つ

『人権』『福祉』『文化』に

ついては既に触れている。

さて今回は・・・?

 

 

 



最初に歴史的な背景を踏まえたので

話をそこから始めることにする。



江戸時代と明治時代の狭間に

存在した偉人は数多くいるが、

特筆すべきなのは坂本龍馬であろう。


彼は、今で言うところの

株式会社を創設した人物である。

しかし、このことは一般的にあまり印象はない。

どちらかと言えば、ガッチリ締められた

鎖国の扉を開いた重要人物であり、

政治を行った人物という

事実の方がしっくりくるであろう。

が、彼は『政治』を

行いたかったわけではない。



結果的にそういうことに

なってしまっただけで、

彼は分散していた地方の国を一つに纏め、

『日本』という国を

作りたかっただけである。



・・・彼は現代における

『坂本龍馬』に

なりたいのだと言う。

 


明治という時間の流れで、

維新があり、

文明開化があり、

貿易が盛んになってき始めた。



せっかく1つの国となって

動き始めたそれを、

今現在ではあまりにも

中央に集めすぎてしまった

為に、またばらばらに・・・

つまり地方分権が叫ばれるようになった。

大風呂敷を広げすぎた日本、

中央に集めてしまっては

遠い地域の細部にまで目が届かない。

地域におけるリーダーシップが

必要になってきた。

明治の頃の坂本龍馬が

日本のリーダーシップの一端を

担っていたとするならば、

彼は熊本県における坂本龍馬予備軍と

書くべきだろうか?

 

 

皆様の中で『政治家』という

職種の人間達はどういった印象であろう?

お金を持っている、日本を動かしている、

他国との様々な交渉事を行っている

・・・少なくとも

筆者自身はそのような印象を持っている。


しかし彼としては



「カタチに残るものばかりを残したがる

人達が多すぎるような印象を受ける」



のだそうだ。

それはベトナムで感じた『気付き』にも繋がる。



目先のことばかりに捕らわれすぎ・・・と。

街のど真ん中に何かを作る。

それは何処の何某という人物が計画して建設させた。

そういう人がいるのか、その人の名前を覚える。


次の選挙・・・この人しか名前知らないから

この人にでも投票しておこうか。



自分の地位を守る為、

次の選挙に勝つ為の、

いわば履歴書の経歴の欄に

書くだけに過ぎないこと

を、全員・・・とは言わないまでも

かなり繰り返している感がある。

カタチあるモノはいつか壊れていく。

地域社会を重視する彼の中で、

何かを残したいのはカタチあるモノではない。

これからは最終的にこれから

年老いていく自分の為、

これから生まれ存在していくであろう

未来の為に住みよい街作りを

しなければいけないのだと思っている。



もし・・・もしも・・・だ。



彼がそういった事を出来る

立場になったとして。

具体的に何をしたいのか?

 

 



「全てを当たり前の状態に戻す」

 

 



では当たり前とは何か?

 

 



「それが【本物】を残すと言うことではないか?」

 

 



全てとは言わないが、

情報にしてもモノにしても氾濫し、

今は正常な状態ではない。



それを元の状態に戻す。



極々一部の人達が有利になるだけの

偏ったことではなく、

より多くの人が平等に当たり前の

生活を送れる世の中にしたい。



珈琲豆を焙煎し、

お客様にそれを提供しながら、

楽しい話題を提供している彼の頭の中は、ただ

それだけを考えているわけではないようだ。

 

アメリカに追いつき追い越せと

我等の先祖はがむしゃらに頑張っていた。

戦後、焼け出されて何もない

状態から歩き始めた頃の

一番輝いていた日本。



そして本当に追い越してしまった。

・・・今の現状に胡座をかいてしまった日本人。

もう何も動かない・・・

いや、動けないような気がする。

 



しかし。

希望は捨てない。

今から始まるのだから。



ここに色んな事を考えている彼がいる。

と言うことは、他にも同じとまでは

いかないにしても似た考え方を

持った若者がきっといる。

彼に、そして多くの若者達に

エールを送りたい。



だから


Age of Zero!(この瞬間から時代が始まる)

 

 

 

 

 

いつの頃も一生懸命ではありました。

懐かしくもあり、少し照れもあります。(笑)

若さがゆえに言ってしまえる怖さはあるものの

勢いはありますね。いいことと捉えましょう。

 

さて、丁度1週間になりました。イタリア行き。

今回の目的はもちろんヴェネチアン雑貨の

買い付けではあるが、スタッフの福島さんとの

同行ということもあり、もう一度、

さらにイタリアに

詳しくなろうとする考えがあります。

 

ヴェネチア.jpg

 

一生のうちに1度は行きたいイタリア。

イタリアの魅力をたくさん

お知らせしようと思いますので

帰国後のブログも楽しんで貰えればと思います。

がんばらない⑥本物マラソン。

第6号タオ新聞「本物を求めて」

 


「【本物】を求めて。」

<今から16年に書かれたものです>

 



日頃この「がんばらない」を御愛読頂き、

感謝の念で一杯である。

今回のテーマは前号に予告した通り『本物』

では、最初に『本物』とは一体何であろうか?

 



彼曰く。

 

「当然のもの」

 

 



当たり前に存在し、そうでなければ

いけないもの。

そしてもう一つ、言葉を

変えるのであれば、

 

 



「失って初めて気付くもの」

 

 



しかし、その『本物』という事実は、

『本物』を作っている本人達には

分からないし、いくら本人達が

「これは本物です」と声高に言ってみたところで、

決定権があるのはそれを使うお客様。

言い方に語弊があるかも知れないが、

『本物』として生き残っていけるのは・・・

認められたものだけなのだ。



こういう風になっている世相が少し

おかしいのかも知れないが・・・。

 

 

『本物』を語るために、一例を

挙げてみることにする。

例えば・・・。



友達。



彼のとある友人が事故に遭い、

怖かったというメールを送ってきたらしい。

その知らせを受けた彼・・・といえば。



「ああそうなのか・・・それは大変だっただろうね。」



と思い、別にメールを送ってくる位に

元気なのだったら、と返信を送らなかったそうだ。

日数がある程度過ぎたところで・・・。

その人を含めた何人かで飲みに行った。



そして御本人にあの時のメール連絡以来

久しぶりに会って開口一番に言われてしまった事が

 



「貴方だけだよ、あの時に返信してくれなかったのは。」

 



どうやら彼一人だけが返事を

くれなかったらしいのだ。

そのことで少し気分を害しているらしかった。

とにかくそれはそれ、夜も更けて

お開きになり家路を急いでいると・・・

突然傍らで鳴り始めた

携帯電話の着信はその友達の名前。



電話に出ると、ちょっとだけ

切羽詰まった声で用件を述べ始めた。

家の付近まで帰り着いたは良いが、

どう見ても挙動不審な男が

玄関先を彷徨いている、怖くて家には入れない、

どうしよう?という電話だった。

彼はその人の元に急ぎ、一緒に行って

家の中に入ってしまうまで送り届けたのである。


因みに。



この時、彼だけしか現場までは

来てくれなかったという・・・。

 

 

さて・・・この例から考えられる事。

『本物の友達』

というのはどういうことだろうか?



例の中で挙げた事を使うのなら、

事故にあった、みんなに連絡した、

みんな大丈夫?とか言って

くれた、だが彼だけ返さなかった。

そして今回、助けを呼んだ、

他は誰も来てくれなかったけれど、

彼だけはわざわざ戻ってきて送り届けてくれた。

事故の場合、彼の言う通りメールを

打ってくるという事は無事だという

しるし、だったら何を言う必要がある?
 

でも・・・。



本当に助けが欲しい、

今、助けて貰わないと不安で仕方がない。

そういった「本当に助けて欲しい」と思って、

求められた時に助けてあげられるのが本物の友達

ではないか?と彼は考えているというわけだ。

そしてそれが当然であると・・・

彼は思っている。



その行為は多少解りづらい事かも知れないが、

それが彼を形成しているモノなのだろう。

 

 

言われてみれば、

そうなのかもしれない。

『本物』を提供している場所で

簡単に我々は手に

入れてそれを使用したり、

ここでは珈琲を飲んだりしているのだが、

誰もが見えないところで血の

滲む様な努力を惜しんでいない。



カフェ ラ タオのマスターである

彼も珈琲豆を厳選し、焙煎の巨匠と呼ばれる方を

師と仰ぎ、真剣に一回一回の焙煎を行っている。

その理由はただ、お客様に『本物』を

知って頂きたいが為、『本物』の

味を提供したいが為・・・

それだけである。



我々消費者というのは

提供されたモノをただ、使うだけ。

その奥の努力などハッキリ

言ってどうでも良い事だ。

どうでも良い事なのだが、

見えない努力の跡を知らない内に感じ取り、

気付かない間にそれを求めている。

求める、そして提供者と

利用者で互いにそれを守る。

残っていくのが・・・『本物』



消えていってしまうのは必要な

努力を怠ったもの、

つまり『偽物』だけだ。

 

 

何も証明するものはない。



証明させるものは必要ない。



ただ先に繋がる未来に、

先駆者が既に存在しない世に

なってもそれでも残された遺産が『本物』

残せるであろうか?

 



彼に。残して欲しい。

 



「本物」を。

 

 

 

熊本城マラソン2017に出場します。

やばいか、やばくないかといえば

「無茶苦茶やばいです。」

 

 

元々マラソンにチャレンジする

切っ掛けとなったのが

数年前の40歳。

 

36歳の頃に、同級生と数名で

「40歳になった頃、マラソンを   皆で走ろう」

というものだった。その時は

皆、自分らが40歳にならないと

でも思っていたのだろう。

40歳になる直前に皆に問い詰めてみた。

 

「仕事が忙しい」

 

「なかなかフルマラソンは厳しい」

 

「マラソン大会に行くお金がない」

 

など事情は様々でした。

 

そうだろうよ!俺もそうだから、でも

健康維持や目標を作ろうと言って

予告していたなんじゃないか〜!

よし、俺だけでもフルマラソンにチャレンジしたい!

と、ホノルルマラソンに申し込みをした。

 

馬鹿みたいに練習した。

 

決して足は早い方ではないけど

必死で完走を目指した。

その結果、なんとか完走だけはできた。

 

 

 

 

完走の感想は・・・・

 

 

 

「悔しい」

 

 

 

自分の時間配分に対しての詰めが甘すぎた。

決して記録だけの話をしているわけじゃない。

マラソンとは人生そのものだ!

 

 

なんか、どこかで聞いたことのあるような

感想を提げて継続することにした。

 

 

そこで継続大会に選んだのが

 

「熊本城マラソン」

 

ひねりもなく地元の大会だ!

 

海外や、他県に行くと継続できないと考えた。

 

自分が逃げてしまわないように仕向けた。

 

今年で3度目の熊本城マラソン。

 

ここ半年、今回は全く練習ができていない。

 

自分の言い訳にうんざりもする。

 

自信は全くない。でも完走はしたい。

 

これほどにも練習の素晴らしさを

感じる大会はないはずだ。

ひょっとして完走すらできないかもしれない。

今更、ジタバタしても仕方ない。

怪我しないように楽しみたいと思う。

 

 

 

 

 

最後にもう一度。

 

 

人生はマラソンである。

 

熊本城マラソン.jpg

 



 

がんばらない⑤人権チョコレート。

タオ新聞第5弾。

地域のおばちゃんの主催している「人権講座」に

通っていた時期もありましたね〜。

仕事の合間に(笑)

 

 

「The human rights,the rights and the duty」

<この作品は16年前に書かれたものです>

 

 

人間が複数で生活しようとする。

するとそこには大なり小なり争い事が発生する。

同じ血の繋がりを持っている家族の中で

それが起きるのであるから、

友人、知人、恋人同士・・・

ましてや他人の寄せ集めで形成される会社や

地域、国、世界の中では当然の事といえよう。

ヒトとヒトとが出来るだけスムーズに

コミュニケーションをとれるよう、

ある程度の制約がある。

それはわざわざ口や紙切れでカタチを

残すように交わされたり、

宣言したりするモノではなく、

無言の約束。



そうやって生活していく内に自然発生的に

生まれたのが権利であり、義務。

ヒトの為の権利、それが・・・人権?

 



県内某所。

 

 


朝も早い時間帯、丁度小・中学生が

登校する七時頃である。

その辺のレストランから抜け出してきた様な

格好で道路脇にこれでもかと背丈ほどに

生い茂っている雑草を刈る一人の男。

何をやっているのであろうか?

別にただボランティア精神旺盛に草刈りを

しているわけではなさそうだ。



彼はその時、実験中だった。



最近の子供は挨拶しない

と言われているが・・・

果たして本当にそうなのか?



確かめる為に朝早くから生徒の

通学路を草刈りし、声をかけて

みたら一体どうなるか・・・?

という趣向である。



ターゲット(中学生)が自転車に

乗ってやって来た。

 

 

 

 


「おはよう!」

 

 

 

 



はっきり聞こえるくらいの声で挨拶をしてみる。



・・・が。



大半の方が予想されている通り、

生徒は不審そうな表情で

彼を無視して行った。



実験初日。

結果は・・・惨敗。

 

 

 



しかし

ここでやめてしまっては意味がない。



彼は毎朝毎朝、懲りもせずに

同じ所で同じ姿で同じように挨拶をする。



毎回のように無視される。

繰り返し・・・。

 

 

 

 



一週間が過ぎた頃だろうか?

 

 

 



「・・・おはようございます。」

 

 

 



吹けば飛びそうな小さな声で、

初めて返ってきた言葉。

すると次々と同じ様な感じでは

あったが、挨拶が返ってき始めた。

だいぶん彼に慣れてきたのであろう。

日が経つにつれてその声は

段々ハッキリしたものとなっていく。



そしてとうとう一ヶ月後には・・・。

「おはようございます!!」

 

 



草刈りに集中していた彼の耳に

飛び込んできた元気の良い声。

子供達の方から挨拶をしてくれた。

この様子に流石の彼も

かなり驚いたらしい。



最終的に実験は大成功であった。



彼の睨んだ通り、子供達は

別に挨拶しないわけではない。

確かに、彼がずっとそこにいて、

しつこく(失礼)声をかけているから

慣れて、しょうがねぇな

という意識で挨拶を

返し始めたのかも知れない。

しかし、

本当に挨拶をしないのであれば・・・。



どんなに一ヶ月間かけて彼が

声をかけようとも絶対に

返ってくる事はなかったであろう。

そこで出した結論は一つだった。

 

「子供達が挨拶をしなくなったのではない、

大人達がしなくなったのだ。」

 

 

 



子供は親の背中を見て育つと言うが、

立派な大人であり親である彼等が

自分は自分、他人は他人という意識を持ち、

隣人に関しても我関知せず

精神で通そうとするから

それを見て子供は「ああ、別に良いんだ。」

という意識が働くのだ、と。

見ていないようで

子供達は大人達を見ている。

最近流行っている『いじめ』

それについても同じではなかろうか?



会社や近所付き合いで同僚の誰かを

気に入らないからと言って無視したりする。

それを感じ取った子供が、自分より弱いと

認識した者を蔑ろにしたり、

無視してみたり、だから

と言って一人でやるのは怖いから集団で。



昨今『人権』を叫ばれ、

子供の『いじめ』が問題とされているが、

そうなる原因を作ったのは果

たして誰であろう?

 

一昔前は、子供が何か悪い事をすると、

自分の子供でもないのに

飛んできて怒ってくれる大人が

存在していた。



今は他人の子供は疎か、

自分の子供でさえも怒れない大人が増えている。

彼の様に、例えば地域のおじさん(笑)

が朝っぱらから子供達に

向かって挨拶をする。

否、本当の意味での『挨拶』を教える。

それ以外にも多分もっと沢山の事を。

それはきっと、学校や塾で教えて

もらう事よりもう少しだけ大切な、

生きてく上で必要不可欠な

本当の意味での教育では

ないだろうかと彼は考え始めていた。

 

人権を語ろうとすると、

十人十色、考え方は何通りもある。

一口で言ってしまうには幅が広すぎる。



侵害する側される側、その片方だけでも

意見は沢山あって、それぞれを非難する。

たまに最もらしい発言をする者も出てくるが、

それもまた・・・

結局、本当の事は闇の中である。

 

 

 



【ヒトがヒトとして生来持っている権利】

それが人権。

 

 



生き抜く為に、生きて、

頑張れる為に存在する当然であろう権利。

ただ、忘れてはいけない。



権利というものがある限りは

義務がくっついてくるという事を。



権利と義務。



権利だけを主張していては何もならない。

やるべき事をやってから・・・

義務を果たしたら・・・

権利を主張する資格を得る。

 

一般的には人権は上の様に

定義されているが、

 

では、柴尾稔生氏個人にとって

『人権』とはどう

いった存在であるのか?


 

 

 

 

 

 

 

 



『本物を見抜く力』

 

 

 

 

 

 

 


 

たっぷり悩んだ後で、そう答が返ってきた。

では『本物』とは?

それはまた、次号へと続く・・・。

 

 

 



最後に・・・。

これは皆様でどういった意味を

持つ台詞なのか考えていただきたい。

人権を侵害しようと思うなら

男女間でもそれは成り立つ。

簡単な例えを出すのならば

『プロポーズの仕方』。

「あなたの作る御味噌汁が飲みたい」とか、

「俺の子供を産んでくれ」というのが

一般的らしい。



男性から女性へ。



それが普通。だが最近では女性から男性へという

パターンもあるらしいのだが。

 



「あなたの産んだ子供の父親になりたい」

 



これは柴尾稔生流「人権的」プロポーズの

仕方・・・だそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

驚きを隠せはしない。

いきなりですが。。。

 

「私はサプライズのプロフェッショナルです。」

 

 

 

 

いい意味で、人を騙すのが大好きです。

サプライズが大成功すると、心がスカッと

気持ちよくなるからです。

 

しかし、驚かせられるのは

本当に嫌いです。

 

 

本当は嬉しいのに,嬉しくないように見える

リアクションだった時の相手側の気持ちを考えると

潰されそうになります。(笑)

 

なので、できればプレゼントやサプライズは

しないでと欲しいとお願いすることが多いです。

 

 

本人たちは驚かすつもりではなかったのでしょうが

バレンタイン前日だったということで

全く忘れていて、頂いた時に素直に

喜びました。ふぅ〜ありがとね。みんな。

 

チョコ.jpg

 

お酒好き♡いちご好き♡に因んででしょう。

木箱入りのVIP対応ありがとうございました。

美味しい珈琲、琥珀の女王と一緒に

いただきました〜。